「酢堂は悲しく芸術を語る」


 俺は鬱陶しい程に整った酢堂の顔から、絵の中の不鮮明な顔へと視線を移し、もう一度その絵をよく観察した。なるほど、知らぬ誰かの事を思って描いた絵とは、なんともロマンチックな話じゃないか。昨日、河原でその新作を見かけた事からも、この絵の作者が現代人であることは間違いない。この世知辛いご時世に、小説を読んで絵を描くだなんてなんともセンチメンタルな話じゃないか。そんな彼の作風を、俺の前で打ちひしがれる勘違い野郎しか理解できなかったというのは、この世界で最大の不幸かもしれないね。しかし、小説からの空気から作者の姿を描くとはね。そこそこに色々読んできたつもりだが、著者近影を見ずに作者の姿を想像できるような理解力は、残念ながら俺にはない。それを描いてしまうのだから、流石は芸術家だ。
 で、どうだったんだよ、それで。その小説の作者は、この絵に描かれている通りの女性だったのかい。俺はどうにもそれを訊かずには居られなくなって、酢堂に声をかけた。彼は暫く黙り込んで、一言、あぁ、その絵に描かれた通りの女性だったよ、と呟いた。描かれた通りも何も、目鼻も口も皆ボヤけていて、形状的な特徴を比較することはできない。その絵から漂ってくる空気、すなわちは彼女のパーソナリティをこの絵は正確に捉えていたのだろう。絵の少女の白い肌から受けるのは冬の晴れ間のような仄かな暖かさ。黒い長髪と整った眉から漂ってくる清楚で高潔なイメージ。微かに濃い肌色の絵の具で表現されたえくぼは、どこか憂いを帯びた彼女の笑顔を俺に連想させる。紙に落とした水のように境界のはっきりとしない目玉には、エメラルドを白で薄めた鮮やかな光がさしていて、正気と狂気の最中に彼女が泣いているようにも見えなくはなかった。そしてなによりも、淡い桃色のブラウスについた金色のボタンが絵の中で一つ孤立しているようで、とても寂しい。
 ふと、俺の頭の中に砂糖女史の憂いを帯びた笑顔が浮かんだ。なんとなくその絵に描かれた小説家のイメージと、砂糖女史の姿が俺の中で重なって見えたのだ。どこか彼女にも、この絵に描かれたような部分がある気がする。
 どうした、急に黙り込んでと酢堂の声がした。いや、別に。意味を知れば知ったでまさにその通りに見えてくるからさ、凄い絵だなと思ってね、少し見入ってただけさと、俺は酢堂に返した。溜め息を吐いて酢堂が不愉快そうに笑う。良い絵というのは、見る側になんの負担も与えない物さ、こうして補注を加えなければ理解されないなら、それは表現として間違っているということだ。大事に額に入れて飾っている割には酷い評価なもんだ。まぁ、確かに酢堂の言うことにも一理ある。どんなに作り手が思いを込めて描いた絵でも、情熱と時間を捧げて紡いだ小説でも、誰かに理解されなければそれは存在している意味がない。逆にどんなに拙くても、どんなに不真面目に作っても、評価されてしまえばそれは存在する意味がある。悲しいかな、彼の言葉から、この絵が世間一般でどのように評価されているのか、この絵の作者がどのように理解されているのか俺は察してしまった。どうしてこうも、俺が好きになる芸術家という奴は、世間の評価が驚く程低いのだろうかね。
 けどまぁ、理解できなくても知りたくなるだけの魅力はあると思うがね。