「魔法少女風味ミリンちゃんのお兄ちゃんは、メイドさんに世話される」


 仰け反って倒れた俺の首に筋肉質の細い腕が絡まる。余分な脂肪を極限まで削ぎ落とし、筋が見えそうなその腕は、俺の首を力強くそして固く締め上げる。足掻くどころか、殺されると恐怖を抱く時間さえもなかった。俺の後ろに立ったそいつは実に鮮やかな手際で俺を締め落としてみせたのだった。
 気がつくと俺はソファーに眠っていた。仕立ての良い黒色をした皮張りのソファーは、寝心地は最高だったし、目覚めも爽やかだった。下手なベッドよりよっぽど寝るのに適しているだろう。窓から差し込んでくる光の明るさを考えれば、どうやら一晩ほどぐっすりと俺は眠っていたらしい。それにしたってここは一体どこだろうか。辺りを見回すと、木製の広いシステムデスクに、背の高い南国産と思しき鑑賞植物、ガラス張りのテーブルに、今自分が座っているのと同じソファーの姿が確認できる。まともな仕事とは縁のなかった俺だが、テレビや映画で知り得た知識を総合すると、なんとなくここは社長室だとか会長室だとか、お偉いさんが仕事をするような部屋の気がした。しかし、なんでこんな所に俺は居るのだろうか。ここの社長に殴られ、締め落とされて、わざわざ運ばれたのだろうか。たとえここの社長がやくざ紛いの人間だったとしても、俺を殴る動機も分からないしここに連れてくる意味も分からない。俺は善良な一小市民として、平々凡々な毎日を過ごしていた。誰に対しても殴られる程の怨みを買うようなことはした覚えはない。
 俺は扉を探して視線を部屋の中を彷徨わせた。すると、白い部屋の壁に何枚か絵画が掛けられているのに俺は気がついた。それは昨日俺が河原で目にしたキャンバスに描かれていた絵と、書き味から色使い受ける印象の何から何まで、非常に酷似していた。立ち上がり近づいてよく見てみる。額に飾られたそれは、河原で見た物よりも幾分か立派に見えた。そして、そのキャンバスの左下には、作者のイニシャルであろうM・Sの文字があった。間違いない、これはあの河原の絵と同じ作者が描いた絵だ。なぜ、こんな所にこの絵があるのだろうか。この絵の作者とこの部屋の持ち主が知り合いなのか、それとも俺の知らないだけでこの絵の作者は有名な画家なのだろうか、それともまさか、この絵を描いたのがこの部屋の持ち主だというのだろうか。
 背中の方で金属が軋む音がした。振り返ると、やたらと各所にレースがあしらわれた趣味の悪いメイド服の女性が立っていた。あっ、お目覚めになられましたか。大丈夫ですか、なんだか酷く魘されていましたけれど。白と黒が目に痛い服装の彼女は、そう言って俺に近づくと、手に持っていたお盆から、氷が入った透明のグラスとよく冷えていそうな水の入った瓶をテーブルに置いた。今、社長は外回りに出ていらっしゃいますので、少々お待ちください。なんでしたら、もう一瓶持って来ましょうか。いや、これでいいよ、ありがとう。今は別にそんなに喉は乾いていないんだ。俺はやけに親切なメイドに頭を下げた。すると、彼女はすこし感心した様子で微笑み、お酒強いんですねと、訳の分からないことを俺に言った。社長の飲み友達の方だとお聞きしました。なんでも、昨日は社長と居酒屋で飲んでいた所、酔いつぶれて寝てしまわれたので、家より近いこちらの方に連れてこられたそうで。