「魔法少女風味ミリンちゃんのお兄ちゃんは、殴られる」

 シフト通りに仕事は終わった。俺たちの会話を盗み聞いていたのか、倉庫でカップラーメンの在庫管理をしていた店長に、お疲れさまですと声をかけると、鬼のような形相で睨まれた。いいよね、君は、女の子にモテてさ、妹さんだけじゃ飽き足らず、彼女まで、いいよね、君は。いや、そんなんじゃないですって。先日妹と醤油呑み星人が一緒に話してるの見たでしょ、あの二人仲良いんですよ、本当にそれだけですから。なんもやましいこととかないですから、本当に。子供のように拗ねる店長をなんとか宥めすかして、俺はコンビニを出た。目指すは牛丼屋。まったく、ケーキでもなくアイスでもなく、報酬に牛丼を指定してくるとは逞しい。おやつじゃ心は満たせても、お腹は満たせないのよ、か。なるほど、なんとも現実的な話じゃないか。
 コンビニから歩いて十分程、国道沿いに牛丼のチェーン店があった。ドライブスルーもある、そこそこに近代的な牛丼屋だ。平日の夜なので人は少なく、店員の姿も見えなかった。ガラス張りの扉を押すと、上部についた鈴が五月蝿く鳴った。いらっしゃいませーと、最近テレビでよく見る女芸人のような声が上がり、すぐに店の奥からオレンジ色の制服を着た女が出てきた。
 いらっしゃいませ、本日はこちらでお召し上がりですか、それともお持ち帰りですか。癖のある黄色く染まった髪の毛をツインテールにし、長い睫毛に無駄に艶やかな唇をしたその女は、極上の笑顔で俺に言った。本来、俺はこういうケバい女は嫌いなのだが、所詮営業スマイルとは分かっているのだが、なぜだか、俺は彼女のそんな仕草にときめいてしまった。お持ち帰りでと勤めて素っ気なく言うと、少し困った顔をして、彼女は突然沈黙した。どうしたんだろうと、俺は首を傾げた。えっと、それで、ご注文はどれになさいますか。あぁ、そう言えば、何も注文していなかった。頬が熱くなるのを感じながら、俺は、牛丼並盛四つでと、細く整った眉をした彼女に言った。
 二つのビニール袋に分けて入れられた牛丼を、両手にぶら下げてコンビニへと戻る。それでも、まだ醤油呑み星人のシフトが終わるのには、随分と時間があった。時間を潰そう、そういえば、今朝見た絵はまだあの河原に残っているのだろうか。もう深夜と言っても差し支えない時間である、おそらくはあの絵も、あの絵を描いた作者も、あの近くにいることはないだろう。しかし、まぁ、時間を潰すにはもってこいかもしれない。ふと、俺は急にそんなことが気になって、道を逸れて、河原の方へと向かった。冬の夜の寒さと共に空から降ってくる月と星の光の中に草むらと水面が微かに輝いていた。
 降り立った河原には、今朝方俺が見かけたキャンバスの姿は、やはり残っていなかった。代わりに、その場所には猫が気持ちよさそうに丸まって眠っていた。ハムを残したグルメで贅沢な猫だ。こんな所で野宿とは、風邪を引きやしないのかと、俺は屈んで彼の腹を撫でた。思いのほかに暖かい。
 猫は暖かいな、誰かが俺の後ろで言った。聞いたことのある声だが、その声の主が誰だかは思い出せず、俺は振り返った。夜の闇の中に、眼鏡の縁が鋭利に輝いていた、手に持った金属バットが鈍く輝いていた。振りかぶる、俺の腹に当たる、牛丼の中身が零れ、俺の胃の中身も溢れた。実にお見事。