「魔法少女風味ミリンちゃんのお兄ちゃんは、芸術に疎い」


 川原の公園でベンチに座りながらサンドウィッチを食べる。朝の公園にはさっぱり人気がなく、時々ジョギング中らしき人が、土手の上を駆けていくのが目につくくらいだ。どこからやってきたのか、野良猫がいつの間にかベンチの下に潜り込んでいて、俺を見上げては甘ったるい声で鳴いていた。食べ物が欲しいのだろうか。ミリンちゃんの一件で、どうやら分けの分からぬ親心に目覚めてしまった俺は、猫のその懇願するような鳴き声を無視すること藻できず、サンドウィッチからハムを一枚抜き出して、ベンチの下に置いた。猫は警戒してしばらくハムを眺めていたが、やがて恐る恐る近づくと一口それを齧った。しかし、サンドウィッチに挟まれている程度の安物のハムは、彼の口に合わなかったらしく、それっきりで、猫は何かを思い出したようにベンチの下から飛び出すと、川の方に向かって駆けて行った。まったく猫にまでいいように使われて、情けない。猫も妹も気まぐれで困るよ。
 ふと、猫が駆けて行った方向に見慣れない物を見つけた。脚立のような四本足の支えに載っかったそれは、縦に長方形をしていて、色鮮やかに絵の具が塗られていた。それは朝の河川敷の姿が描かれた風景画だった。油絵というやつだろうか、どことなく重厚な味わいの感じられるそれを、俺は素直に上手いと思った。なかなか、こんな絵は描けるもんじゃない。絵の事などずぶの素人の俺であったが、単なる写生ではなく、冬の朝の生命観の乏しさを表したようなどことなく暗い書き味や、冷たさを感じさせる水面の描写などは、書き手の技量の高さと表現力の豊さを歴然と示していた。いったいこんな素晴らしい絵を誰が描いたのだろうか。既に絵は完成しているのか、キャンバスの下の方には赤い絵の具で、M・Sというサインが描かれていた。
 ふと、誰かの視線を感じて振り返った。しかし、視線を感じた方向には背の高い葦が広がるばかりで、人の姿は見つけられなかった。さて、こんな所でボケッとしていても仕方がない、随分と早いが、今日はもうコンビニに出社して、給湯室か倉庫で漫画でも読みながら過ごすとしようか。俺は、サンドウィッチの包装紙をビニール袋でくるみ、丸めてポケットに突っ込むと、最後にもう一度だけ絵を見て、その目の冷めるような美しさを網膜に焼き付けた。もしできるなら、ポストカードにして、写真立てに入れて飾りたい。
 出社して、醤油呑み星人に煙草臭いと突っかかられて、いちご美味しかったかいと店長に話しかけられる。夜勤明けのB太を労って、久しぶりに会うアルバイトの店員に昇進を祝われる。とりあえず、まだ仕事には時間あるから、倉庫で本でも読んでます、人手が足りなかったら呼んでくださいと断って、俺は倉庫に行くと、売れ残った週刊漫画雑誌を何冊か手に取り、事務室に向かった。机の上に漫画を積み上げ、パイプ椅子に腰かける。まずはスタンダードにジャンプから。次いでマガジン、サンデーと読むうちに、気づけば仕事の時間になっていた。チャンピオンは、また後で読むことにしよう。
 着替えてレジに入ると、醤油呑み星人がなにやら愉快そうな顔で俺に近づいてきた。ちょっと、今日は出社早かったけどどうしたの、もしかして、また妹に家追い出されたの。あぁ、また追い出されたよと、俺は即答した。