「魔法少女風味ミリンちゃんのお兄ちゃんは心配性だ」


 そんな事をしている内に刻々と出勤時間が迫ってきた。少し早いがもう行くかと、俺はミリンちゃんと味噌舐め星人に別れを告げ、服を着替え、玄関に転がっていたスニーカーを履いて外に出た。肌寒い風が吹いて慌てて部屋に戻ってジャケットを着る。そう言えば財布の中身が寂しくなっているのを突然に思い出した俺は、タンスの三段目の棚を引くと中に入っている茶色い給料袋の中から、二枚ほど諭吉を取り出した。へそくり、ですか、そんな所に隠してる、なんて、不用心なのです、ミリンちゃんが苦しさと嘲笑をない交ぜにしたような顔つきで言った。全財産だよ、と俺は軽い調子で彼女に返事をした。恥ずかしながら、銀行の世話になるほどの生活はしていない。
 再び部屋を出る。また締め出されたときの為に、鍵を持つのを忘れない。扉に鍵をかけて、とりあえず一服しようかと外廊下の柵にもたれ掛かり、ポケットをまさぐれば、中身の入っていないつぶれたケースが出てきた。そう言えば、切らしていたっけか。俺としたことが、どうにも少し今日はボケているようだ。あるいはミリンちゃんの風邪が俺に伝染ったのかもしれない。とりあえず、仕事先に行く前に、自販機で買っていくとしよう。仕事先につくまではどうにも我慢できそうにない。ヘビースモーカーという訳でもないが、時々、こうして無性にタバコを吸いたくて堪らなくなる時があるのだ。
 コンビニにつくまでに三本吸った。別にヘビースモーカーでもないのに、吸わなくてはなんだかやりきれなかった。何に苛立っているのかも分からない、何に疲れているのかも分からない、ただ、吸っても吸ってもなぜだか満たされない。もっと濃い煙を吸えば良いのだろうか。口に咥えたタバコと、ポケットのケースを握りつぶして、新しくニコチンの多いタバコでも買おうかと何度となく思ったが、幾ら何でも健康に悪そうなので止めておいた。それでたかだか数十分の道のりで、三本も吸っていれば世話ない話だが。
 ちょっと、アンタ無茶苦茶ヤニ臭いわよ。仕事前に何やってんのよ、弛んでるんじゃない。昨日と打って変わり溌剌とした顔つきの醤油呑み星人が、俺と顔を合わすなり鼻を摘んで言った。あぁ悪い、ちょっと気がつかなかったよと謝る。気がつかなかったじゃないわよ、あたしたちは客商売なのよ。子供だって来るんだから、そんな臭いじゃ失礼じゃないの。店先で大声で注意するのもどうかと思うのだが、まぁ、客がいないのだから別に問題はないか。少しジャケットの臭いを嗅いでみると、確かに、鼻が曲がってしまいそうな程にきついヤニの臭いがした。全然そんなこと気がつかなかった。全然そんなことに気が回らなかった。今日に限って、いったいぜんたい俺はなぜこんなにボケているのだろう。やはり本当に、ミリンちゃんに風邪を伝染されてしまったのではないか。やれやれ勘弁してほしいねとため息をついた。
 店長は、もう来てるかい、ちょっと聞きたい事があるんだけれど。言ってから、俺は自分でも何を言っているんだと少し驚いた。何を聞くつもりなんだよと自問する。その答えは、店長の顔を見ればすぐに出てきた。用ってなんの用だい、まさかまた家に泊めてほしいの。笑顔で近づいてくる店長に、俺は、苺を売ってもらえませんかね、とびっきり新鮮なのを、と訊いた。