「B太はタフなアルバイター」


 あれっ、先輩じゃないっすか。どうしたんすか、いつもより入るの早いっすね。あれっすか、痴話喧嘩っすか。そうだよと俺が返すと、B太は青い顔をして、すんません、俺、ほんの冗談のつもりで、と、謝ってきた。どうやら、コンビニのバイトの間まで、俺がミリンちゃんにアパートを追い出されたことは広まっていないらしい。それはそうか、タイミング的に、この事について知っている人間は、俺と、店長と、醤油呑み星人くらいだろう。
 あえてなんの否定もフォローもせず、俺は店長が居ないおかげで陳列のおざなりな、カップラーメンコーナーから、スーパーカップを取ると、自分でレジに通した。そうして、レジ横の給湯室に入るとパイプ椅子に腰かける。スーパーカップの包装を剥がし、蓋を剥がし、液状スープとかやくを取り出す。かやくの袋を破り、乾麺の上に振りかけると、そこにキッチンの上に置かれているポットからお湯を注いだ。蓋をすること三分、いや、五分だったか。どうでもいいなと、俺はスーパーカップをキッチンの台の上に置いた。
 先輩、ほんと、すんませんっす。悪気はなかったんす、許してください。無視とか止めてくださいよ、先輩、俺、そういうギスギスしたのダメなんすよ。耐えられねえんすよ、こういう空気。客が居ないのを見計らって、給湯室に入ってきたB太は、情けない声で俺に言った。別に怒ってはいない。単に腹が減ってるから無視しただけだ。そっけなく俺がそんな事を言うと、嘘だぁと、B太は叫んだ。先輩が、そんなみみっちい事で無視するわけないっす、そりゃ、店長にはそんな感じに接してるのをよく見ますけど、けど、俺が尊敬してる先輩はそういう事はしないっす。俺が尊敬している先輩は、後輩アルバイトを簡単に粗略に扱ったりしないっす。それはなんだ、新しい嫌味かなにかか。B太、お前そんななりしといて、今更人の顔色伺うのかよ。見かけによらずお前も大概めんどうくさい奴だなと、俺はため息をついた。
 へぇ、本当に妹さんに家を追い出されたんですか。カップラーメンを食べ終えた俺は、まだまだ仕事の開始時間には時間があったが、カウンターに入ることにした。とりあえず、昨日着ていた下着の上から制服を着ると、B太の横に並ぶ。B太が、カウンター裏のタバコの整理をしていたので、俺は肉まんやフランクフルトの整理をすることにした。先輩、妹さんが居たんですね。なるほど、それで年下の子の面倒見が良い訳だ。面倒見が良かったら、こうして締め出されちゃいないよと、俺は、皮肉を込めてB太に言った。けど良いじゃないっすか、兄弟が居て。俺、一人っ子だから、お兄さんとか弟とか憧れるっす。まぁ、一人っ子だと親の願望を一身に受けなくちゃならんだろうから、辛いだろうなと、俺は言った。すると、なんだかちょっと驚いたような、少し引くような顔をB太は俺に見せた。先輩って、意外と冷めてるんっすね。そうだよ、知らなかったのか、と、俺は冷めた感じに言った。
 B太とはかれこれ三年近くの付き合いになる。県内の私立大学に通っている彼は、馬鹿にならない学費を捻出するため、大好きなライブ活動をやるために、アパートに引越しが終わったその日に、うちに面接にきた。その時から、彼はパンクな頭と服装、そして妙な人懐っこさを持ち合わせていた。
 一日目にして店長は彼の教育を投げた。というより、終了した。僕がB太くんに教えられる事は、もう何もないよ。それもそうだろう、店長がこの店でかろうじてできる業務といえば、棚にカップラーメンを陳列することくらいなのだから。そんなわけで、早々に俺は店長からB太の教育を任された。今ほど過激な格好ではないにしろ、髪を金髪に染め上げ、顔のそこら中に不必要にピアスを刺していたB太と接するのには、多少の抵抗はあった。しかし、そこは俺も仕事である。いや、当時はただの学生バイトだったのだが、先輩は先輩だと威を正してB太に接した。すると、意外にもB太は素直に俺の言うことを聞いた、それはもう、他のアルバイトよりもよっぽど素直に。
 B太の仕事の拙さは店長に迫る物があったが、責任感は人一倍強かった。不良の世界は体育会系だという。B太がやけに素直なのは、そういう環境に身を置いたことがあるからだろうか。俺がB太に対してそんな疑念を持ち始めた頃、たまたま所用で夜の駅前を通る事があった。そこで、俺は小さなスピーカーの上にコカコーラのペットボトルを置き、一心不乱にエレキギターを掻き鳴らすB太に遭遇した。こんな所で何をしているのだろうか、そういえば、趣味で音楽をやっていると、いつか休憩中B太が言っていたっけか。
 誰一人としてB太の前で立ち止まる人は居なかった。それはそうだろう。その時、B太が弾いていたそれは、おおよそ音楽と言うのは憚れる、お粗末極まりないものだった。騒音、ノイズ、という言葉の方がしっくりくる。それでも、そんな事はいっこうに気にしない素振りで、ギターを掻き鳴らすB太の姿を、気づけば俺は、なんだか眩しい物でも見るように見つめていた。
 あれ、先輩じゃないっすか。どうしたんですか、こんな所で。演奏を一段落させたB太が俺の姿に気がついて声をかけた。いや、やたら耳障りな音がしてるもんで、なんだろうかと思ったら、お前がなんかやってたんでな。なんだ、お前、取り立てのバイトもしてるのか、掛け持ちとは随分タフだな。冗談混じりにそんな事を言ってやると、騒音扱いっすか酷いっすね、芸術っすよとヘラヘラした態度でB太は返した。ちょうど、それが今日最後の演奏だったらしく、B太はギターとスピーカーと、ごちゃごちゃしたケーブルなんかを片付けると、先輩のアパートって俺と同じ方向でしたよね、一緒に帰りましょうやと俺に言った。俺、お前にアパートの場所とかって教えたっけとB太に尋ねると、なんだか恥ずかしそうにB太は鼻を擦り、いいえアパートの名前しか聞いてないっすと答えた。けど、俺もそのアパートに入居しようかと調べてたんで、場所は分かるんすよ。学生専用でもないのに、家賃すごく安いですよね、先輩の住んでるアパートって。確かに俺の住んでいるアパートは、県内でも一二を争う激安物件である。なるほどなと俺は思った。
 一緒に夜道を歩きながら、俺はB太に、仕事の中だけでは聞けなかった、彼の身の回りのことを色々と聞いた。親がろくでもないこと。大学進学を理由に逃げるようにして家を出てきたこと。そのうち大学は辞めて音楽を思う存分やりたいこと。別にこの格好は不良とかそういうのではなく、単に彼が尊敬している外国のバンドの真似をしているだけということ。人が見かけによらないというのを、この日ほど痛感したことはなかった。派手な外面に隠されたB太の実像は、俺が想像していた姿とは真逆の純朴な物だった。