「塩吹きババアは煽情する」


 明滅を繰り返す視界と思考。蛍光灯のように、高速で夢と現実を切り替えている俺には、知覚する以外の行動、おおよそ能動的なことはいっさいできなかった。なので砂糖女史の誘惑に対して、抗うことも、承諾することも、今の俺にはできなかった。そして、したくなかった。俺の腹にまたがり、顔に視線を落とす彼女。その暗い瞳の中には、俺という存在が確かに存在していた。酩酊した意識の中で、俺と同じく本来の自己を著しく損壊している状態で、彼女は俺を激しく求めていた。あるいはそれは俺ではなく、男という存在だったのかもしれない、しかし、彼女はなによりも先に俺の顔に触れ、その柔らかい指の腹で、目元から鼻先への緩やかな稜線をなぞったのだ。
 返事を、してくれませんか。ごめんなさい、私は、もう、耐えれそうに、ないんです。返事を、して、くれませんか。砂糖女史の潤んだ声が聞こえてきた。しかし、俺の脆弱な精神は、未だ脳の奥深くにどっしりと居座って、彼女が指をはわしている乾いた唇の制御権を、奪還することはなかった。無意識に、彼女にそうされることを望んでいるのか。本来ならば俺は、今この時この瞬間にすぐにでも飛び起きて、やめろと彼女に怒鳴りつけなくてはいけなかったのだろう。今の俺には、砂糖女史とそういう関係を背負い込むことは、人間としてできないはずだった。嫌というほどそのことを俺は自覚していたし、それを拒否していたし、拒んできた。味噌舐め星人の幻影に咎められて、何度となく思い直した。俺は砂糖女史から注がれる無遠慮で無尽蔵の好意の視線を無視しつづけてきたのだ。もちろん、それには砂糖女史の真意が、俺には分かりかねるという部分もあったが、彼女の想いを受け入れられない根底にあるのは、紛れもない味噌舐め星人に対する想いであった。
「ほう、妖怪のワシならよくて、人間のその女は駄目なのか。やれやれ、人間の貞操観念というのはよく分からないな。それとも、お前が変なのか」
 塩吹きババアが俺に語りかけた様な気がした。しかし、彼女の姿はどこにも見当たらない。おそらくは、この抜き差しならない状況を冷静に俯瞰している、俺の潜在意識の一つが作り出した、冷やかな幻覚なのだろう。
「ワシにあれだけのことをされておいて、今更、なにを餓鬼のようなことを言っておるんじゃ。快楽に身を任せればいい。若者、お主は自分の中にある性欲を征服したように思っているだけで、その実、性欲に蓋をして閉じ込めているだけだ。結局は意識的に目を逸らしているだけに過ぎない。病身と混乱の中にあって、あの夜、あの娘、嫁殿に対してお前がしたことこそ、お前の内に眠る、お前が本質的に抱え込んでいる問題に他ならない。夜毎繰り返される艶美な夢の中で、お前が想うことこそお前の本質に他ならないのだ」
 うるさい、黙れ。人をそんな女好きのように言いやがって、色情魔のように言いやがって。何が俺の本質だ。俺は、そんな薄弱な行動理念に支配された人間ではない。だいたい、お前と関係を持ったのにしても、お前が勝手にやった事じゃないか。今だってそうだ。俺はこんな事態は望んでいない。
 何者かの悲しいため息がした。同時に微かな金属音がして、俺の肉茎が外気の中に解き放たれる。砂糖女史が俺のそれを熱い眼差しで見つめていた。