「砂糖女史の哨戒」


 厚さ的にはたいしたことのない本だったので、俺は『メイド・イン・アンダーグラウンド』を、一気に読みきった。どうやらこの小説はかなりの長編らしく、手にしている本はその第一巻に当たるらしい。再来月には新刊を、同人誌即売会で発売する旨が、奥付の更に一枚後ろ、既刊書や新刊一覧ページの箇所に、漫画雑誌で例えれば次回予告のページに、書かれていた。商業ベースからは摘み出されたが、佐東匡はまだまだ小説を書き続けるらしい。彼の一ファンである俺としては、非常に喜ばしいことだった。同時に砂糖女史が、佐東匡が同人ベースに移動し本を執筆しているという情報を、知っていことに俺は少なからず驚いた。佐東匡の作品を彼女が読んでいることは、俺も知っていたが、ここまで彼に執着していたとは。いや、それよりも、どうやって佐東匡が同人誌を出すということを知ったのか。彼がデビューした出版社サイドから、なんのアナウンスもなかったのはもちろんのこと、ネットでもそんな事は話題になっていない。記憶が正しければ、アンチの的を得ない批判的な書き込みがその大半を占める、大型掲示板にある彼のコミュニティには、ここ数ヶ月、保守以外の書き込みが一つも存在しなかった。
 ありがとう、おもしろかったよと、砂糖女史に俺は本を渡した。しかし彼女はそれを受け取らず、もしよかったら差し上げますよと、穏やかな微笑みを浮かべて言った。いいのかい、と、溜もなく声が出た。佐東匡のファンである俺としては、この新作は是非とも手に入れたかった。しかし、せっかく彼女が、同人誌即売会にまで顔を出して買ってきた小説を、何の苦労もしていない俺がそんな簡単に貰ってしまって良いのだろうか。やっぱり、ここは遠慮しておくのが筋じゃないのだろうか。いや、俺が貰ってしまうと、君はどうするんだい。即売会に行くくらい、佐東匡の小説が好きなんだろう、なのに、こんな簡単に人にあげてしまっていいのか。俺は砂糖女史に言った。
 好き、というのとはまた違う様な気がします。あぁ、本のことは気にしないでください、まだまだいっぱいありますから。砂糖女史はそう言って、カバンの中からまったく同じ装丁の本を抜き出して俺に見せた。よく言うあれだろうか、鑑賞用、保存用、布教用という奴だろうか、やれやれまったく、マニアックなことだ。そうかい、それなら遠慮なく貰うよと、俺は砂糖女史に差し出していた『メイド・イン・アンダーグラウンド』を脇に挟んだ。
 ところで、どうしてお前はこんな情報を知っているんだ。俺は砂糖女史に素直に疑問をぶつけた。すると、佐東女史は何も言わずにパソコンに向かうと、音もなくキーを素早くタイプして、あるウェブページを開いてみせた。それは白地の背景に、文字が延々と書き連ねられているだけの、シンプル極まりないウェブページで、上部のタイトルには、熱帯魚が泳ぐ書架と表示されていた。そのタイトルは、佐東匡の代表作である『熱帯魚たち』を図らずとも連想させ、そのサイトが佐東匡に関係のあるものだと俺に確信させた。
 佐東匡が運営している公式ウェブページです。ここで同人誌即売会で新作を発表するとの告知が出ていました。まさか、そんな、と思わず口にした。佐東匡に公式サイトが存在していただなんて、そんな情報は初耳だった。