応募原稿『タイトル未定』11,12ページ


 意識が気化しようとしたその時、なにやら聞いた事のないけたたましい音が僕の耳の中に飛び込んできた。細やかな振動音と目覚まし時計のアラームのような音が混じったそれは、僕の頭上から響いてくる。目を開くと、壁にかけた制服が小刻みに震えているのが見えた。まさかね、と思いながらも、僕はベッドから起き上がり、ぶら下がっている制服に手を伸ばすと、ポケットの中をまさぐる。そして中で暴れているその何かを引きずり出した。
 鮮やかな光とやかましい電子音を放って、着信を告げる携帯電話。白色の背景に浮き上がる発信者の名前は『櫛田都子』。なんで、どうして、まだ別れてから二時間もたっていないのに。櫛田さんからの電話に慌てふためき混乱する頭をよそに、僕の指は冷静に着信ボタンを押下していた。もしもし。
「あっ、もしもし櫛田です。東くん、だよね、ちゃんと繋がってる?」
「うっ、うん、東だけど。ごんばんわ、櫛田さん」
「こんばんわ。あぁよかった、ちゃんと東くんのケータイに繋がって。知らない人が出たらどうしようかと思った。って、思うわよね、初めて電話をかける相手だとどうしても。電話番号間違ってたらどうしようって?」
 さぁ、どうだろうか。友達の少ない僕はあまり電話をかけることも、初めての人に電話をかけることもしないので、櫛田さんの気持ちは正直な所よく分からなかった。けれども、それが彼女なりの、気をほぐすためのギャグらしいことはなんとなしに分かった。生真面目を絵に描いたような彼女にしては、こうして人に気を使うのも、冗談を言うのも珍しいことの様に思う。
 それだけ僕に心を開こうとしてくれているのかと思うと、なんだかちょっと嬉しくなった。もっとも、彼女から電話がかかってきた時点でかなり嬉しかったので、これ以上嬉しくなろうにも、どうすれば良いか分からないのだが。それにしたって、いったい櫛田さんどうしたのだろうか。こんな時間に何の用だろう。まさか、もう、透明人間について何か分かったのだろうか。
「ねぇ東くん。私ね、今、透明人間について色々とネットで調べてるんだけれど、ぜんぜん駄目ね、現実で透明人間になったなんて話、どこ見ても載ってないわ。どれもこれも、ヒットするのは小説とかドラマとのレビューばかり。お医者さんがお手上げって言うのも、なんとなく分かる気がするわ」
 うん、確かに僕を診察した医者も、治し方は小説家か漫画家にでも聞いてくれ、なんて冗談を言っていた。冗談では済まされないから困っているのだけれど、やっぱりそうだろうね、透明人間になったなんて話、実際の所漫画や小説の中だけの話だ。事実は小説より奇なりなんて言うけれど、決して起こりはしない奇というのもある。その一つが、透明人間ということだ。
「まさに事実は小説より奇なりよね。けど、逆説的に考えれば、小説に書かれていることって言うのは、事実を越えることはないって意味でもあるわよね。だから、さ、ここは一つ、透明人間を題材にした小説だとか漫画を読んで、情報収集みたいなことをしてみたらどうかと思うのよ。どうかしら」
「いや、どうかしらって言われても。小説や漫画に書いてあることは、所詮フィクションだし。その中に書かれている事がそのままそっくり僕に当てはまるだなんて、そんなうまい話はないと思うんだけれど……」
「うん、まぁ、たしかに、そうよね。けど、他に何か名案でもあるの」
 そう言われてしまうと、別にこれといって何もない。とにかく、今の状況を僕は理解できていなかったし、必要な情報の確保や整理さえもできていなかった。たしかに、櫛田さんの言うとおり、小説や漫画に描かれている情報を知ることで、透明人間という問題を解決することはできなくても、現状をよくすることはできるかもしれない。櫛田さんの提案を断る理由はなかったし、それに対して僕の中に何かしらの代替案があるわけでもなかった。
 しばらくの沈黙の後、何もないよね、と櫛田さんが軽い調子で言った。
「それじゃぁ、明日の放課後だけれど、一緒に図書館に行ってみない。市営の図書館じゃ品揃えはそんなに期待できないだろうけど、それでも透明人間にまつわる本は何個か見つかると思うの。それで、透明人間ってのがいったいどういうものか調べてみましょうよ。ねぇ、どうかしら。明日、大丈夫」
「えっ、うん、明日ね、明日なら大丈夫だよ。けど、良いの、櫛田さん」
「なにが」
「いや、その、僕なんかに、そこまでしてもらって、良いのかなぁって」
「何言ってるのよ。私が助けてあげるって言って、自分から首を突っ込んだんじゃない。良いも悪いも、最初から良いに決まってるの。なに、そんなの気にしていたの、東くん。生真面目ねぇ、今時の学生にはしては珍しいわ」
 いや、櫛田さんも今時の学生にしては珍しいと僕は思う。たしかに、彼女は僕が透明人間になった謎について、協力を申し出てくれた。自分なりに透明人間について調べてくれると言ってくれた。けれども僕は、一緒に図書館に行って調べてくれる程、彼女に期待してはいなかった。期待していなかったというと、なんだか聞こえが悪い。そこまで、望んではいなかったのだ。
 そんなこんなで、結局、強引に櫛田さんに押し切られる形で、僕と彼女は明日、放課後に市の図書館によって透明人間について調べる事になった。市役所は学校と僕の家の間にあるので、僕は別に帰りに寄るのは構わなかったのだけれど、櫛田さんは別だ。話に聞いた彼女の出身中学校から考えれば、学校から彼女の家があると思える向かう方角は、図書館とは真逆の方角だった。承諾し、彼女もまた気にするなとは言ったが、やはり少々気が引けた。
「それじゃぁ明日、各自授業が終わり次第集合ということで。あっ、東くんの姿は見えないから、集合場所とか決めた方が良いわね。そうねぇ……。うん、じゃぁ、校門前に三時半に集合にしましょう。いいかしら、東くん」
「うん、櫛田さんがそう言うなら、僕はそれで良いよ」
「よし、じゃぁ、それで決まりね。じゃぁ、明日に備えて今日はこれくらいにしましょうか。お休みなさいう東くん。また明日、学校で会いましょう」
 彼女がそんな事を言ったので、おやすみと言うと、僕は受話器を耳から外した。しかし、耳から外したは良いが、なんだかその電話を切るのがもったいなく感じられ、僕は通話が終了できなくなった。なぜか櫛田さんの方からも電話を切るような気配はなく、なんだか気まずい空気が電話を通してお互いの部屋に流れているのが、なんとはなしに僕には感じ取れた。
「あ、あのさ。東くん、電話切る前にちょっと一言、言って良いかしら。その、こういう場合、もっとそれらしい反応が、あって良いと思うんだけど」
「そ、それらしい反応。う、うぅん、ちょっとよくわかんないけど」