「隣の客はよく酒呑む宇宙人だ」


 板前があいよと熱燗を差し出したので手に取った。前の温燗と違いしっかりと温められていた徳利はじんわりと熱く、驚いた俺は危うく酒を溢しそうになった。するとそんな俺の手を支えるように、何処から現れたか華奢な女の腕が伸び、次いで指が絡みついた。白く細い指である。塩吹きババアよりは幾らか人間染みた赤みがあったそれは、俺の手から熱燗を奪い取る。気づけば隣のカウンターには、くしゃくしゃな亜麻色の髪をした女が座っていた。
 女は熱燗をお猪口に移すことなく、徳利の口にその桃色の唇を這わせて飲み干した。ぺろりと徳利の口を舐め取るしぐさが生々しく、波打つ黒髪の下でとろんとまどろんでいる彼女の瞳には、世界のありとあらゆる光が無作為に吸い込まれて混濁していた。そばかすがかかった鼻の先まで真っ赤なのは、既に随分と飲んでいる何よりの証拠。雪の様に白いセーターに、古臭い感じのする赤いロングスカートを穿いている彼女は、典型的な酔っ払いだった。
 うぃっくと彼女は声をあげて熱燗を板前に突き返した。俺と店長がそのさまを何をするでもなく眺めていると、あぁん、なに見てるんらぁと、その女は突然絡んできた。まだ一杯目のビールも飲み干していない俺は、彼女のテンションに咄嗟に馴染めなかった。もちろんながら、酒の弱い店長も俺と同じくで、しばし俺たちと彼女の間に気まずい空気が流れた。もっとも、そう思ったのは俺と、店長と、板前だけだったらしく、店長の熱燗をひったくって飲んだその女はいきり立った感じでそれだけ言うと、すぐにカウンターに顔を沈め、俺たちなんか知るかという感じに押し黙ってしまった。どうにも彼女は何かに怒っているらしい。彼女はどうやら自棄酒中らしい。どうしようもない空気の中、とりあえず熱燗もう一本作ってくれると店長が言った。
 ねぇ、どう思う。店長が俺に聞いた。そうですね、まぁ、気持ちは分かりますよ。アルバイトA子ちゃん、愛想いいですから、そういう風に店長が勘違いしちゃうのも無理ないと思います。まぁ、明日から顔合わすたびに気まずいでしょうけど、確かあの子来春から就職するとか言ってたんで、この正月まで、長くて今年度までの辛抱ですよ。俺は傷心の店長を気遣いつつ、A子ちゃんに失礼のないような言い回しで意見を言った。しかし、そこまで考えて発言したというのに、店長は違う違うと言って、俺の方に指を向けた。その娘、隣で寝ているその娘、君はどう思うって聞いてるの。隣で伏せている彼女に聞こえないように、小さな声で店長は俺に言った。どうやら、アルバイトA子に対する愚痴も想いも恋情も、その店長の熱燗をひったくった女の登場で、彼の中では一区切りが付いてしまったらしい。まったこれだから惚れっぽい男という奴は困る。そんな事だから女にもてないのだ、きっと。
 隣でうつぶせている女を改めて見ると、確かに彼女は可愛かった。酔っ払いでなければ、声の一つもかけたくなるだろう。酔っ払いでなければ、一昔前のドラマに出てきそうな風貌に癒しを感じるだろう。酔っ払いでなければ、あばたもえくぼ、ゴマを撒いたようなそばかすも全然気にならないだろう。
 可愛いですけど、彼女、酒呑み星人ですよ。再び差し出された熱燗を板前から受け取ろうと、俺が手を伸ばすと、またしても酒呑み星人が掠め取った。