「砂糖女史との離別」


 砂糖女史はチーズケーキにフォークを入れた。その三角に尖った先っちょのほうをほんの少しフォークに載せると、ゆっくりとその色づきの良いピンクの唇へと運ぶ。彼女がケーキを食べる仕草は、その物憂げで憂鬱な表情と合わさって実に絵になった。もし許されるならば彼女の姿を写真に収めたいと思うほどだった。彼女は一口ケーキを食べて、一口紅茶を飲んで、分からないんですと俺に言った。分からないんです。酢堂さんは会うたびに私の事を褒めてくださいます。こんな私の事を素晴らしいと励ましてくれます。それが彼の本心なのか、はたまた下心からくるものなのか、私には分からないんです、判別がつけられないんです……。いい歳してそんなことも分からないのかと、もしかすると皆から笑われるかもしれないですが、私にはそれを上手く整理する事が出来ないんです。彼の気持ちを素直に受け止めることも、彼の言葉をまるっきり嘘だと否定することも、私には出来ないんです。
 砂糖女史は紅茶にスティックシュガーを二本入れてスプーンでかき回した。甘ったるいケーキに甘ったるい紅茶では口が休まらないんじゃないかと思ったが、俺は何も言わなかった。その代わりに俺は、往々にして男というのは好きな異性の美点を無理に探し出してでも、無理にこじつけてでも褒めるものなのさと、ケーキを口に運ぶ砂糖女史に言った。無理矢理にでも、ですか。砂糖女史は少しその美しく整った顔にいっそう陰りを帯びせて、そう呟いた。けれどもそれは嘘じゃない、事実だよと俺がフォローすると、砂糖女史の顔色の中にほんの少しだけだが生気が戻ってきたような風に、俺には見えた。
 砂糖女史が持っている何かを指して、それが素晴らしいと褒め称える事は俺にはそう難しくないように思えた。彼女の顔や体つきは、その男性的な外見に反して女性として非常に魅惑的だったし、その物腰穏やかで奥ゆかしい性格や、惚けているようでどこか知的な感じを見るものに与える仕草は、ミステリアスな女性として多くの人間に興味を持たせるだろう。まぁ、君のような女性ならば、酢堂でなくたって素晴らしい女性と褒めるだろうがねと、俺はよっぽど彼女に言ってやりたかった。けれども、それを言ってしまうと、酢堂の奴と同じで彼女を口説いているようなので、俺はやはり何も言わず、カプチーノコーヒーを啜り、ケーキの上に載っている茶色い栗をフォークに突き刺して口の中に放り込んだ。栗はとてもウェットで、そして甘かった。
 問題なのは、酢堂が本当の事を言っているかどうかじゃない。本当の所は、彼の本意なんてどうでも良いんだ。たった一つ大切な事は、君が彼の事を好きかどうかって事だ。相手を理解しているかしていないかなんて、恋の前には無意味な話だ。恋は盲目って昔から言うだろう。誰も、そんな事は気にしちゃいないのさ、相手の嫌な所が見えてたら恋なんてできない。もし君が彼の事をそうやって信用できないのなら、やっぱり彼にははっきりと自分の意思を伝えたほうが良いと思うな。自分の、意思、ですか。と砂糖女史は俺に聞き返してきた。俺はあえて多くは語らず、一度だけゆっくりと頷いて、モンブランケーキを底のスポンジごとフォークで掬うと、一口に頬張った。
 それっきり二人の間には会話らしい会話もなく、暫くして俺たちは別れた。