「砂糖女史の曖昧」


 俺がなかなか名前を名乗らないので、酢堂はどうやら自分が砂糖女史の友人の機嫌を損ねるような事をした事に気づいたらしい。ばつが悪そうにこちらを見返す彼の表情は、その気障な造りの顔にはよく似合っていた。そういうわけだから、俺は酢堂に自分の名前を語る気にはなれなかったし、また実際に語る機会も無かった。なぜならば、俺はすぐさま砂糖女史の手を取ると、それじゃ俺たちはこれから寄らなくちゃいけない所があるのでと、呆気に取られた表情をしている酢堂に言いつけて、そそくさとメイド喫茶の外に出たからだ。酢堂のちょっと待ってとでも言いたげな視線が、俺には愉快でならなかった。してやったなとばかりに俺が引っ張って店から連れ出した砂糖女史の方を見ると、彼女はなんだかとても気難しそうな顔をして俯いていた。
 俺たちはそうして暫くの間あてもなく商店街を歩いて、結局最初に入っていた飲食店にもう一度入った。酢堂に会ってからなんだか元気のない砂糖女史に、元気になってもらおうと俺はケーキを頼んだ。俺はモンブラン、彼女にはチーズケーキ。この光景をもし味噌舐め星人なんかが見たらまた、なんでケーキを買ってあげてるんですか、私にも買ってくださいなんて、ぎゃーぎゃーと騒ぐのだろう。それで、俺は先ほどのメイド喫茶に味噌舐め星人とミリンちゃんを置いてきた事を思い出した。まぁ、しっかりもののミリンちゃんが居るから大丈夫だろう。後で、携帯で連絡を取るとしてとりあえずこの場は砂糖女史をフォローする事が大切だった。なぜだか分からないが、彼女は先ほどからちっとも顔をあげなかったし、心なしか肩が震えて見えた。
 ねぇ、さっきの酢堂だっけ、あれって君の恋人か何かなのかい。俺は砂糖女史に率直に聞いた。すると、砂糖女史は目で見て分かるほどに肩を震わせて、ふるふると力なく顔を横に振った。違います、あの人と私は、まだそういう関係ではありません。砂糖女史は、彼との関係をさして、あえてまだ恋人ではないという表現した。すると、何かの拍子に酢堂と砂糖女史は恋人になる可能性があるという事なのだろうか。どうにもよく話しが見えない。
 じゃぁ、どういう関係なの。失礼かもしれないし、そんな事を俺が聞く権利もないかもしれないが、彼女の不安を紛らわすには事の核心に迫るほかない。俺はまた砂糖女史に、おそらくは彼女が聞かれたくないであろう質問を訊いた。彼女はまた肩を震わせて、今度は一拍の間をおいて答えた。彼は、最近懇意にしている父の仕事のパートナーの息子さんなんです。前に、父の仕事の打ち合わせで家にいらした事があって、それから時々お屋敷のほうに私を訪ねてらっしゃるんです。なるほどね、それで砂糖女史の身に起こっている大体の出来事を俺は把握できた。少女漫画なんかでよくある話だ。深窓の令嬢に恋したボンボンが、令嬢の気持ちも確かめずに勝手に熱くなって、あの手この手でアプローチしてくるって奴だ。令嬢には他に意中の人が居るのに、しつこく交際を迫る奴だ。なるほど、それはちょっと許せないな。俺は酢堂の顔を思い出し舌打ちした。嫌いなら嫌いと言ってやらないと、あぁいう男はしつこいですよと、俺は砂糖女史にアドバイスした。優しい彼女は、いえ、酢堂さんも悪い人ではないんですと、曖昧な表現で彼を庇った。