「砂糖女史との再会」


 世の中には偶然という物があるんだなと、この日ばかりは思わずには居られなかった。たまたま入った商店街の喫茶店で、席がないので相席でも構いませんかと案内された席に、先ほど電車の中で相席になった砂糖女史が居るのだから驚かないわけがない。ぽかんとした様子で、それもまた随分と気の抜けた表情で俺を見つめる砂糖女史は、濃い色をした紅茶を飲んでいた。
 案内してくれたウェイトレスにコーヒーを頼み、俺は砂糖女史の前の席に座った。やれやれ、こんな所でまた会うとは奇遇だね、なんて気の聞いた言葉の一つでもかけたかったが、電車でのやり取りを考えると、自然と声は出なくなった。おそらく俺が見た限りで、ミリンちゃんの出番はそう多く無いだろう。ミリンちゃんの仕事が終わるのは、そう遅くは無いだろう。だらだらと砂糖女史と話しこんでいる暇はそもそも無さそうだった、ということにしておいて俺はまた砂糖女史を無視し、佐東匡の「蒲公英掬い」をポケットから取り出すと電車の続きを読み始めた。奇しくもその小説の中では、満を持して上京した主人公が、たまたま入った見知らぬ喫茶店で、コーヒーを飲みながら先に上京していた幼馴染の女の子を待っているシーンであった。
 圭子が自分から声をかけてくるまで、雄平はそれが彼女であると気がつかなかった。声をかけてきてもすぐに気づけなかった。それくらいに雄平の記憶の中に住まう圭子と、現実に現れた圭子には埋め難い印象の剥離が存在していた。あの何もない街で、色あせた灰色が似合う雄平の故郷で、唯一輝かしかった圭子は。延々と続く田園にこれでもかと咲いたひまわり畑の様に存在していたはずの圭子の面影は、そこにはなかった。磨耗しきり乾ききった皮膚と、点かなくなった蛍光灯のような瞳、それを隠すように塗り重ねられた薄い桃色をしたファンデーションと、細く描かれた眉毛、つけられた睫。あの優しかった圭子は、あの素朴だった圭子は、都会という色に、若者という色に無理矢理に染められ、無理矢理に犯された感じにそこに立っていた。
 ねぇ気づいてた。私ね、昨日駅で君を見かけたんだよ。雄平くんてば駅のターミナルで地図を見て右往左往してたよね。一年ぶりだけど、すぐに分かったよ、あっ雄平君だなって。雄平君もやっと東京に出てきたんだなって。けど、メールでは今日会う約束だったから、私、我慢したの。ちゃんとした約束しているのに、そこで偶然顔を会わせちゃったら、なんだかせっかく久しぶりに会うっていうのに味気ないなって、そう思ったの。やめろよ人の小説の文章を読むのは。せっかく本の世界に浸っていたというのに、気分を害された俺は、「蒲公英掬い」に出てくる幼馴染の女の子の台詞を、何を思ったのか突然淡々と読み上げた砂糖女史に、きつい口調で注意した。
 砂糖女史は、少し面食らったようだったが、それ以降すっかりと大人しくなって、また電車の中のような沈黙が俺たちの間には訪れた。たぶん、彼女なりに話題を作ろうとしたのだろう。悪い事をしたかもしれないなと、俺は少し後悔した。どうにも、砂糖女史と良い味噌舐め星人といい、この手の奥ゆかしい女性は苦手のようだ。ティーカップをスプーンで掻き混ぜながら、ちらちらと何度も俺の機嫌を伺う砂糖女史の姿に、俺はそんな事を思った。