「パンドラにて」を読む


 やっとアフタヌーンを購入、市川春子先生の「パンドラにて」を読む。
 この人の話は処女作以降は基本的に、救いのない感じに登場人物たちを突き落として、そこから微妙に救い上げると言う、所謂旧式泣きゲー手法(KanonとかKanonとか、主にKanonとか)だと思っているのですが、皆さんはどうでしょうか。私はそんな話が大好きです。
 そして、そこはかとなく彼女の根底に流れているだろう腐女史感はどうでしょうか。やれ海に沈められた弟だったり、やれ全ての黒幕のお兄ちゃんだったり、やれ自分から枝分かれした少女だったり、やれその少女を手篭めにしているつるっぱげのおじさんだったり、雷だったり、彗星の妹だったり、おお振りもびっくりなムンムン野球部だったり、マリア様も真っ青な百合百合学園だったり、するんですよ。あざとい、実にあざとい。そんなあざとさが、いかにもな発想が、私は本当に大好きです。


 けど、田丸浩史先生の方がもっと好きです。


 二次創作的な801論は生殖器的な問題から理解できないというかニーズがなくてダメダメなのですが、一次創作的な話はまだなんとかいけます。というか、こういう中性的な雰囲気の作品には割りに弱いです。あれですよ、ARIAとか浪漫倶楽部とか、あとはそのPON! とキマイラとか。あ、バンパイア十字界は無理でしたけれどね、藍蘭島も無理でしたけれどね、屍姫も(ry。