「塩吹きババアは世話をする」


 コーヒー牛乳でカフェインを摂取しておきながら味噌舐め星人はあっけなく眠ってしまった。十時を過ぎれば味噌舐め星人はひとりでに熊さんパジャマに着替えて、ころりと布団の上に寝そべると昨日の様に眠ってしまった。味噌舐め星人の眠る姿は溜まっている俺には眼に毒だったので、俺は眠くなるまでの暫くの間をアパートの外廊下で煙草でも吸いながら過ごす事にした。
 俺の住んでいるアパートはそれはもう裏手一面に田んぼが広がっているような、田舎田舎も良い所な場所に立っている。なので、周りには街灯も少なく、夜はありのままの姿で俺の頭上に存在していた。夜、外に出て空を見上げれば、蛍光灯よりも上品に白く世界を照らす月がいつだって出迎えてくれた。いや、いつだってって事はないか、月や空にも色々と事情はある。けれどもその夜は、俺の頭上で上白糖の様に上品な白さを持った月が、墨や木炭や絵の具ではとても表現できそうにない黒々とした暗闇に、ぽっかりと穴をぶち抜いたようにして浮かんでいた。俺は別に月や星を見るのが好きと言う訳ではないが、夜空を見上げるのは嫌いではなかった。夜空と言うのは見ていて飽きない面白さがある。それがどういう面白さかと聞かれれば困るが、昼間空を見上ることと比べると、夜空は俺にとって格段に親しみやすかったし、まだ幾らか見ようかなと言う気分になれるものだった。
 あんまりに月が白いものだから、俺はふと昨夜見た妖怪の事を思い出した。月と同じ色をした妖怪。闇の中にぽっかりと浮かんだ月の中に、ぽっかりと浮かんでは輪郭だけを浮き上がらせた妖怪。その妖怪を俺は塩吹きババアと俺が勝手に命名したのだけれど、今頃彼女はどこで何をしているのだろうか。
「おい若者。昨日の今日で悪いが塩は要らんか、安くするぞ」
 そんな事を思うべきではなかったなと俺はすぐに後悔した。どうやら塩吹きババアはまだ俺のアパートの周りをうろうろしていたらしい。聞けば、俺が外廊下で煙草を吸っているのが見えたのでやってきたのだと彼女は言う。良い機会だし煙草を止めるというのも良いかもしれないなと俺は思った。
「ところで、こんな所で何をしておるのだ。若者はそろそろ眠らんといかん時間ではないか。ほれ、そんな体に悪いものなぞ吸っておらんで、とっとと眠らんか。寝付けないなら、ワシが添い寝をしてやっても良いぞ」
 俺は妖怪なんかと添い寝したら生気を吸われそうだから勘弁してくれと塩吹きババアに言った。塩吹きババアはケタケタと顎を鳴らして笑うと、また俺に塩を買うようにしつこく迫った。俺は昨日買った塩を持ち出してきて、まだあるから良いと言ったのだが、それでも塩吹きババアは塩を買わないかとしつこく食い下がった。あんまりしつこいので、俺は塩が入った容器の蓋を外し、彼女に向かって塩をぶちまけてやったのだが、塩吹きババアはここぞとばかりすっと姿を消して難を逃れた。そして暫くすると何食わぬ顔で現れて、今ので丁度なくなったなとしたり顔で言うのだった。俺は彼女にはもう勝てる気がしなくなって、しぶしぶ財布を開き銅色の硬貨を彼女に渡した。
「まぁ、下世話な忠告じゃがな。溜め過ぎるのは良くないぞ?」
 大きなお世話だと俺がまた塩を撒くと、笑い声を残してババアは消えた。