事由


 今思うと、二年前の僕は金銭的にどん底の状態だったのだと思います。親からバイトすることを強要されました。先生からバイトをすることを強要されました。親に携帯代を自分で払うように言われました。先生に携帯代くらい自分で払えるだろうと言われました。親に小遣いを止められました。先生に自分の小遣いくらいバイトで稼ぐように言われました。バイト、バイト、バイト。僕は正直な所バイトなんてしたくありませんでした。なぜかというと、僕は壮絶に不器用だったからです。僕はとても不器用なのです。それはもう、皆が度肝を抜かれて、「頼むからもう何もしないでくれ」と頼み込んでくるくらいに僕は不器用なのです。なので僕には、オールマイティさが要求されるバイトという仕事に苦手意識を持っていました。だから僕は、高等専門学校なんていうちょっと特殊な学校に入って、手に職をつけて社会に出ようと思ったのです。中途半端は嫌なので、プログラム一本で食って行こうと心に誓い、プログラミングコンテストでなんとか自分の実力を社会にしめそうと思いました。僕にとってプログラミングコンテストは、自分の価値を確かめる場所でした。そして、価値は出ました。僕の価値はゼロ円でした。まったく、使い物にならない、あれだけ一生懸命やっても、これっぽっちも社会でやっていけない、ゼロ円の人間だと、僕はプログラミングコンテストで証明されてしまったのです。僕の周りの人間はゼロ円じゃありませんでした。僕の周りのセンパイやコウハイは、今の同級生達は時給1500円くらいの価値がある人間でした。10000円出してもいいような人も居ました。僕はそんな人たちの中にたった一人ゼロ円でした。普通にバイトも出来ないから、自給800円にもなれない僕。僕はお金が稼げなかったのです。金銭的に壊滅していたのです。金銭的に壊滅した人間は、そこから這い上がらなくてはいけません。文句は言ってられません、皆、稼いでいるのです、皆、稼げるのです。普通に800円くらいなら稼げるようにできているのです。僕は先生からちょっとしたご縁でバイト先を紹介されました。僕はそこでバイトを始めました。本当はちょとバイトをするはずだったのです。僕はなにも本気でそのバイトで月に2万も3万も稼いでやろうとは思っていませんでした。僕はやっぱりバイトでお金を稼ぐことに抵抗があったのです。苦手意識があったのです。ですから、僕は携帯電話代くらいは自分で稼ごう程度の気持ちでそこでバイトを始めたのです。そしてそのことは、最初にバイトを始めるときに、相手も了承していると思っていたのです。やがて僕は月に2万も3万も稼ぐようになりました。ゴールデンウィークもしっかりと働いたように思います。まず間違いなく学生でした、僕は800円を稼げる価値をその時だけは持っていたように思います。けれど、僕はその稼いだお金を自由に使うことままなりませんでした。僕の稼いだお金は、母が僕のために買った布団代と、新歓コンパの飲み会代、その他色々なものですぐに消えてしまったのです。こんなことってあるでしょうか、苦労して稼いだお金がまったく自分の使いたいことに使えないのです。僕は800円になっても金銭的にどん底だったのです。そして、僕はやっぱりバイトが出来ない人間でした。バイト先の人はいい人たちばかりでした。仕事に厳しい人たちでしたが、仕事の出来ない僕にも優しくしてくれました。非常に感謝しています。今でも感謝しています。けれど、僕にはその仕事を覚えることが出来なかったのです。僕は壊滅的に、皆が出来るようなことが出来ないのです。自分で考えて、自分でやることに関してはできても、皆が普通に出来ることに関しては、僕はなぜかからっきし何をやっても駄目なのです。続けていれば、誰でも出来るようになると皆さん言います、けれど僕にはそれは無理なのです。僕はプログラミングが出来るようになるのに、三年の時間がかかったのです。三年間、本を読んで、頭の中でコンパイルして、デバッグして、ようやくプログラムを人並み以上に使えるようになったのです。僕は電車の中で本を読んでプログラムの仕組みを勉強したりしていました。僕は、プログラムをしなくてはいけなかった理由がありました、それは僕はその当時ゲームを作りたかったからなのですが、結局今の今までゲームを作れたためしはありません。そして、そこまでやっても僕の価値はゼロ円でした。僕のプログラミングに関しての価値はゼロ円だったのです。ゼロ円。そしてそんなゼロ円の僕に、一ヶ月や二ヶ月で仕事が覚えられるはずが無いのです。僕は言われました、アルバイト先で不器用だなと言われました、もっと速くやれよとせかされました、そのうちなれるさと励まされました、自分の要領の悪さに嫌気が差しました、なんとか役に立てるようにとも思いました。けれども、やっぱり僕は職場の皆から「使えない奴扱いされる」のが堪らなく苦痛だったのです。なんで僕はこんな風に使えない奴扱いされてまでこのバイトをしているのだろう。僕は結局ゼロ円しか稼げていないのに、なぜこのバイト先で働いているのだろう。僕は傷つくためにバイトをしているのだろう。バイトはいつだって不定期です、僕は都合の悪い時だけに呼び出される助っ人で、助っ人なのにぶちぶちと文句を言われます。文句の言われ方が癪に障ります、僕と一緒にバイト先で働くといったセンパイを話にあげて、あいつのほうが要領がよかったなと言うのです。僕はもう耐えられません。僕は僕が居ないとバイト先が回らないからバイトに行っているのに、バイト先に来もしない人と比べられて貶められるのです。僕には来てもらう価値も無い、僕なんて本当は要らない、僕なんて、いったい僕は何をしているのでしょう。僕はバイトを止めたいなと心の底から思いました、そしてバイトを紹介してくれた先生に、筋を通してバイトを辞めたいということを言ってみました。その先生はバイト先の常連だったので、僕は少なからず先生づてに僕の思いがバイト先に伝わらないかなと浅ましい考えも持っていました。けれども先生は僕に、「もう少しだけ頑張ってみろ。嫌だからやめるなんて、世の中じゃ通用しないぞ」と言ったのです。いえ、正確にそういったかはちょっと自信がありません。とにかくそういうニュアンスで、僕はバイトを辞めることを禁じられてしまいました。僕は、バイトをゼロ円でこれからも続けなくてはならなくなってしまいました。こんなことってあるでしょうか、これっぽっちも楽しくないゼロ円のバイトを、まったく成長性の見込みの無いゼロ円のバイトを、苦痛ばかりのゼロ円のバイトを、これからずっと続けなくちゃいけない。ゼロ円でも、やりがいがあれば話は別なのに。もちろん、来月からはゼロ円じゃなくなるかもしれない、来月からは月に二・三万好きなものを買えるようになるかもしれない。けれども、学校の授業は本格的になりはじめ、時間のかかるレポートが出題されるようになり、バイト先と自宅を往復するのに二時間近くかかるような状況で、僕の生活は荒み始めます。すべては僕がゼロ円だから駄目なのです。僕がもう少しだってお金を上手く稼ぐことができたら、僕の生活はもっと豊かで、もっと幸せで、もっと充実していたはずなのです。金銭的にどん底なのです。僕には預金残高が10万も無いゆうちょの貯金通帳が一つあるだけ。その値は少しも増減することはありません。なんでしょう、やっぱり僕の人生はゼロ円です。ゼロ円で、僕は何もすることが出来ません。僕はどん底で機械のパーツになるしかありません、けれど僕は欠陥品なのです。ちゃんとした機会のパーツではないのです。ゼロ円なのです、僕はゼロ円しか稼げないのです。お金が無ければ何も出来ません。ゲームも出来ないし、漫画も読めないし、映画も見れないし、おしゃれもできない。彼女と遊ぶことなんでできないし、経済力の無い男に女の人はやってきません。ゼロ円の僕のこれからには、何も無い世界が広がっているように感じられました。けれども耐えるほかありません。耐えて、耐えて、耐え抜いていれば、もしかしたら少しはゼロ円から価値が上がるかもしれません。僕はそう思って、確りと学校に通いました。研究室で、指導教官にお前のプレゼンはなっていない、お前の発表はなっていないとなじられても、僕は確りと学校に行きました。僕は僕なりに頑張ってそれを直して、それを教官の前でもう一度やるのですが、それでも分かりにくいとどしかられます。僕は自信を失いかけていました。僕は何をやっても駄目なんじゃないか、何回やっても駄目なんじゃないか。僕が叱られることに対しての終わりは見えません。しだいに僕は、なんでこんなに怒られてまで学校にいるのだろうと思うようになりました。次第に僕は、指導教官のことが嫌いになっていました。指導教官がどんなに正しいことを言っていても、それが腹に据えかねるなら据えかねると、友達にもらすようになりました。そんな自分を嫌だなと思いました、ストレスが溜まっているなと思いました。けれども僕はゼロ円ですので、ストレスのはけ口すら自由に得ることができません。僕は鬱屈しました。そのエネルギーを小説に傾けました、小説はろくなものが書けませんでした。今もですが、昔も僕の小説に誰も目を通す人なんて居ませんでした。ストレスを解消するつもりが、余計にストレスを溜め込む結果となりました。僕は何一つ自由にならない砂漠の中に放り込まれたような気分でした。僕は何も出来ないんだという無力感が、僕をそれでもなんとかして何か出来る人間になろうと支えました。けれども、指導教官は僕を口汚く罵り続けました、僕の支えはポッキリと折れてしまうか、ぶっすりと僕の体に突き刺さってしまいそうでした。そして、あの日が訪れます。僕はその週、インターンシップの応募先に出す書類と、研究報告書と、レポートを抱えた状態で週末に突入しました。そして土曜日の朝に発熱したのです。なんてことのない発熱でした、いつもの扁桃腺でした、けれども僕の仕事をストップさせるのには充分な熱でした。熱くらいなんだと仕事をするのが社会人でしょう。そうでしょうね、熱なんて気合でどうとでもなるのでしょう。けれども僕にはどうしようもできなかったのです。インターンシップの応募先には連絡を取ってあり至急メールを送らなくてはいけない、レポートはまだ一枚も手をつけられてない、ただでさえ研究の進んでいない研究報告書は何を書けば良いのか分からない。そして、もし研究報告書が月曜日の報告会に間に合わなければ、僕は何を言われるか分からない、なんと言われるか分からなくても分かる、僕はお叱りのお言葉を受けて壮大に凹むのだ、もう駄目だ、もう無理だ、けどやらなくちゃ、ちゃんとやれるようにならなくちゃ、ゼロ円から脱出しなくては、ゼロ円から少しでも価値のある人間にならなくては、と。日曜日も熱は下がりません、仕事はまったく手につきません。月曜日にやっと熱が下がったというのに、気分は最悪でした。僕にまっているのは、叱られるという未来だけ。僕は叱られに学校へ行く。叱られて少しまともな人間になるために学校に行く。まともな人間になれてないから怒られるために学校へ行く。僕はちっともまともな人間になれてないから、だから学校へ行って叱られる。僕はいつになったら人間になれるんでしょうか。もう人間になんてなれないんじゃないでしょうか。僕は何のために人間になろうというのでしょうか。学校に行かないと人間になれないのでしょうか。もっと自由に人間は、人間になれるんじゃないでしょうか。その日の朝、僕は久しぶりに親に酷い嘘をつきました、「今日は報告会午後からだから、ゆっくりでいいんだよ」。そして、自分の部屋に戻ると急いで書置きをして、自転車に跨って家を飛び出したのです。北海道まで行ってやろう、北海道まで行って、それから僕は小説家になろう。小説家になって、その片手間で自分の納得がいくプログラミングをしてやろうと、と。一週間で、北海道にはたどり着けるさ。僕は自転車で北海道を目指しました。北海道に行くまでには、妹の下宿先や、友達の下宿先があります。そこを転々とすれば大丈夫だろうと思ったのです。僕はもう、ゼロ円の生活には飽き飽きしていたのです。僕はもう、ゼロ円の生活の閉塞感に絶望していたのです。僕はもう、ゼロ円の生活に耐えられる精神構造ではなくなっていたのです。僕はゼロ円でなくなるために賭けをすることにしました。この旅で小説家になれなかったなら、僕はもう、死ぬかそれに近いことをしてしまおう、と。そのときはそんな風に思っていました、あるいは小説家として成功することしか頭に無かったのかもしれません。そんな二年前の僕が、今こうしてのうのうと生きていることは非常に恥ずかしいことです。けれども、僕は恥を忍んで生きていくことしかできません。死のうと思うことも出来ない臆病者なのです。僕は死ぬことなんてこれっぽっちも考えられない臆病者なのです。今の僕についてこれ以上詳しく語ることはよしておきます。けれども、僕は小説家になることを失敗して、そして今もこうして生きています。あいかわらず僕はゼロ円の人間ですがしぶとくいつまでも生きています。そしてもう一度ゼロ円からまともな方法で脱出しようと思って、指導教官に頭を下げて、学校に戻ってきたのです。今思うと、二年前の僕は金銭的にどん底だったのです。僕は、お金が無くて自分を慰める事のできるお金すら使うことが出来なかったのです。親から小遣いを止められて、バイト先で稼いだお金もすぐに無くなり、ストレスばかりを溜め込む人間。そんな人間がいつか爆発しないで生きていくことが出来るでしょうか。自分が自由だと感じられる瞬間の無い人間が、人生から逃げようとするのは悪でしょうか。生きていけるのでしょう、悪なのでしょう、すべて僕がゼロ円なのが悪いのでしょう。先生が言うように、皆もっとまっとうにお金を稼ぐのです。稼げない僕が悪いのです。親のすねをかじる僕が悪いのです。そして、親のすねを素直にかじれない、中途半端な倫理を持った僕が悪かったのです。そしてその中途半端な倫理はまだ僕の中で生きています。今は、僕は親から学資金を渡されて、それで学校での生活に必要な経費をまかなっています。けれども、それを使い込むのにはいささかの抵抗があるのです。弟達はもうすぐ就職。僕だけがのうのうと学校に居座っている、こんなことがあって良いのだろうか、長兄たる僕がこんな体たらくで良いのだろうか。何も変わっちゃいません、二年前からなにも変わっていないのです。僕は父母から学資金を預かったけれど、それを自由に使うことはやっぱりできないのです。ゼロ円なのです、僕はちっともゼロ円から進歩していないのです。そして、このゼロ円の呪縛によっていつまた二年前のように発狂してしまうのではないかとおびえているのです。長々と話してしまいましたが、とにかくそういうことなのです。ゼロ円の僕にはお金が必要です、自由に使えるお金が必要なんです。ゼロ円の呪縛を紛らわすためのお金が必要なのです。だからどうかお願いします、授業料を半額で良いので免除してくれないでしょうか、よろしくお願いします。それで、ゼロ円の僕は少なくとも自由と安寧を買えるのです。