書評 ねこぢる大全


 解るかぁっ!!


 俺は愚かで非力な豚かつ虫なのでこの作品を認めてしまうと立場的にやばい。なので絶対にこの作者の思考を認めるつもりもないし、可愛いからという理由でこの作品を世に広めるだなんて言う行為を好ましいとは思わない。
 マイノリティ的思想はマジョリティの目に触れた瞬間に批判の対象とならなければならず、許されるためにはマジョリティに対してマイノリティは何かしらの代価を支払わなければいけないのだと、――たとえばマジョリティに対して配慮することでその居場所を保護してもらうなんていう――私は常々思っている。そしてこの作品をその思想から批判した上で、これがマジョリティかつ一個人の妄想かつ虚弱な心で、この世界をどうやっても動かしえない心の叫びであるというならば、私はこの作品のそばにできれば居てやりたかった、と思う。
 まぁなんだ、要約すると、作品としてこのねこぢるが言わんとするニヒリズムは大いに結構であるが、こんなものをおおっぴらに認めるわけにはいかないし、それを認められることも恐らくはこの作者は望んでいなかったんじゃないのか? ってこと。要は、オタの心理だ。大衆に認められた瞬間に、熱が冷めてしまう感覚を君は知っていると思う。なぁそうだろう、自分しか知らなかった何かを他人が勝手に持ち上げて、さもそれが正しいのだ、ここのこれこれは素晴らしいと、赤塚先生のバカボンよろしく勝手によいしょするのだ。なぁ、それで赤塚先生はどうなった、どうなったって言うんだよ、あぁっ!?
 エンターテイメントの怖さとはそこだよ。それは最近Y○先生がどこぞで描いているけど、何かを知っているような、わけのわからないマジョリティのいい加減な目にさらされることだよ。だから、マイノリティの中でひっそりと小さなコミューンを作り上げて、その中で「そうそう、君の言うとおりだよ」「凄いね、どうして周りの皆にはこんなこともわからないのだろう」なんてうだうだとやっていることのなんという心地よさ!! だって、捻じ曲げるだろう、大多数の人間は、彼らが好きなのは作者じゃない、作品なのだ、キャラなのだ、さらのふいんき(変換したくない)なのだ!! 僕はこう思いますなんて関係ないさ、訳の分からない集団知の神に踊らされた奴らは、そんなこと構いやしないさ。マイノリティのように彼らは慰めてくれない、もし飽きられたらそれでぽいさ、そいつらのためにしてやることなんて何も無いのに、けれど彼らはそれを繰り返して、踊らされて、病んでいくんだ!!
 こんなもの、有名にするべきではなかったのだ。図書館に置かれるべきではなかったのだ。確かに俺はオタクだから、当時これを知っていたら誰か知人に見せたかもしれないが、それでも、これは有名になるべきではなかったのだ。そう、思う。


 とにかく僕達豚は猫に勝ったのだ。猫はとても強かったけれど、けど、豚は愚かで多かったから勝てたのだ。猿のように懸命な愚かさは持たなかった。
 豚はマジョリティだ、猫はマイノリティ。死ぬのはどちらだ、俺がお前に死んで俺達が……。それとも僕はもしかして猫なのか?


 次、『不完全犯罪ファイル―科学が解いた100の難事件―』翻訳書ってきらい、読んでて絶対途中で詰まるんだもの。