人間のカタチ


 春樹さん関連のエントリー読んでてたまたま思いついたのでメモ。厨二臭いので使うか分からんけれど。


 人間のカタチを原子構造として見て取った場合、非常に優れているのではないだろうか。炭素原子の集合を考えた時、その結びつきをそっくりそのまま人間に置き換えたとすると、人間は手と足と精器という六つの器官でつながり、この社会というひとつの原子構造を作り上げているのではないか。
 手で友の手を握り、精器を愛するもの達接合し、ぶら下げた子供の肩に足を乗せ、そうして人間というのはこの地球上の上で確固とした存在を維持しているのだ。
 その中にあってひとつだけ、頭という接点だけがぽかりと何にもつながらず虚空にある。人間の苦悩にして自我はまさにこれであり、社会的な結びつきの中で人間性は常に誰とも交わる要素も無く、ただ、毎日不完全につながりを求める、言葉や、絵や、音を発し続けるのだ。


 うん、絶対に使わない。