追記


 ワタナベ →恋→ 直子

 ワタナベ ←愛→ 緑


 最後まで一貫して主人公の行動は、直子への義務感に縛られているのに対して、緑に対してはまったくといっても義務感というものを感じていない。にもかかわらず、最終的に緑を愛してしまったということは。つまり、能動的な感情に対しての否定としての表現なんじゃないだろうか。
 確かに彼は緑に言われるように彼女に充分に付き合ったが、付き合ったけれどもそれは流れの上であって、彼女が本当に望んでいる部分に(たとえば、寝込みを襲わなかった部分であったりとか、髪型を変えたことについて言及しなかった部分についてだとか)は、決して踏み入れようとはしなかった。そういうことなんじゃないのか?


 やっぱりわからん。