ノルウェイの森読了

 まず最初に一言。おそらく主人公は、直子の死にたいして何も分かってはいないし、何も学んでいないんじゃないかということ。というよりも、それが感じるほか無い、やってきて既に去ってしまったものだったかなんだということに気づいたということなのかもしれないし。違うかもしれない。とにかく、これは良くある小説や映画のテクニックのひとつで、謎の提示による読者の求心的な演出なんじゃないかというのが、第一の感想。つまり、村上先生は僕達に主人公の体験をよりリアルに感じて欲しかった、ただそれだけなんじゃないかということ。
 第二に感じたこと。つまり、直子も主人公もお互いがお互いを愛していなかったことに気づいていなかった、というのが隠されたテーマなんじゃないかということ。つまり、最後にレイコさんが主人公を求めたように、直子も主人公を求めただけであって、そこには最初から愛なんてものは無かったんだけれど、そんな割り切った感情を当時の自分達は理解できずに、それで最終的に悩み苦しんで、主人公は緑という本当の愛が向かう先を見つけて、直子はレイコさんに向けられた愛情と主人公の中にある関係の狭間で悩み抜いて死を選んだんじゃないかということ。レイコさんの潜在的レズビアンという設定がそういう部分にあるんじゃないのかなぁと思うわけです。
 第三に、上記のように考えると、最もこの作品の主題である、生の一部である死というものがまったく意味をなしていない気がする。けどまぁ、それはきっと当たり前の話なのかもしれないし、そもそも直子の死を通してそれを知ったといっているが、それが具体的に何を指すかは徹底的にぼかされている気が私はする。ので、やっぱりこれは、ダミー的な主題というかもっとそんな僕達が求めるような高尚な答えではないんじゃないだろうか?
 じゃぁいったい生の一部である死とはなんなのだろうか。頭が悪い私には、まったく検討はつかないのだけれども、たぶん寿命と自殺みたいなものなんだと思う。非常に陳腐でつまらないものなのだけれども、様は自分の中に死というモノへと逃げこみたいと言ったような、寿命とは別に死へと吸い寄せられるベクトルを人間は誰しも内包しているんじゃないかという、ごくごく当たり前の事に気づいたということなんじゃないんだろうか。
 ではハツミさんの死はいったいどうなるんだろう。けれども、これもその死に吸い寄せられたというだけで、たいした意味は無くて、本当の意味はハツミさんの前後に描かれた、永沢さんとの主人公の決定的な違いを浮き彫りにするための演出だったのではないだろうかということだ。というか、永沢さんとハツミさんの関係は、おそらく主人公と直子の関係をより明瞭な形というか、ひとつの答えとして与えられていて、この時点でその答え(直子との関係が永沢さんとハツミさんの関係と同意であること)を主人公は理解できなかったということを言いたいんじゃないだろうかと。うん、適当こきました。もうわけがわかりませんです、ギブアップ!!

 結論。わけが分からないけれども、百パーセントの恋と愛の小説でした。スイーツ。(俺の頭が)

 次書くとしたら、ミミズクと夜の王です。最初のほう読んだけれども、なかなかいい感じです。え、本願寺顕如はどうしたって。読むに決まってんだろ、鈴木輝一郎先生の本だぞこらっ。図書館行ったら増えてて、ちょっぴり嬉しかったぞ!! いや、お勧めです鈴木先生。たぶん、女の子ウケが良いんじゃないだろうか、今チャンスですよ、きっと。(誰が?)