第四話「C.V.」

「やっ! らめぇ、そんなところ、そんなところ舐めちゃらめらよぉ!」
「あん、ああぁ、イク、イッチャウ! お兄ちゃんに、舐め舐めされて、チカイッチャウゥゥゥ!」
「くぉら! このボケナス野郎!」
 豪快な音と共にドアを蹴破り現れる我が妹。
 戦闘服姿で肩で息する彼女の腕には、魔法増幅器、通称「魔法少女ステッキ」という鈍器が握られている。はたして、それで俺に何をするつもりなのか。
 愛想を振りまく自慢の衣装も、今の彼女の顔では台無し。「青い悪魔 唯さん」といったところだ、実におそろしい。巷に、というか俺の通う学校にも多少居るファンの奴らに見せてやりたいものだ。
「まったく、お前って奴は、正義のヒロインがそんな顔して良いと思っているのか? 常識を疑うよ」
「昼間っから大音量でエロゲーしてる、あんたに言われたくないわよ!」
「ふっ…… 何を言ってるんだ? 俺は別に、普通にネットサーフィンに勤しんでいただけだぞ?」
「何言ってんのよ! 確かに聞いたわよ……」
 そう言って俺の目前のPCを覗き込む唯。しかし、残念ながらそこでは、System4.5もNscriptも吉里吉里も動いていなければ、唯一開かれたブラウザソフトにエロゲーのサイトが表示されてすらいない。
 画面に表示されているLunascapeは、中央に某スナイパーのニュースサイトを表示し、上部のティッカーが渋谷とかで働いてるブログやらの情報を更新しているだけだ。
 もちろん、下のタスクバーにも、Lunascape以外の表示は無い。
「おやおや、唯君は何を聞いたのかな? 何を?」
「…… バ〜カ。この手には引っかからないわよ。どうせ、私が入ってくる時消したか何かでしょ? ドライブの状況見れば……」
 ふんと鼻を鳴らし、勝ち誇った表情で俺から強引にマウスを奪うとマイコンピュータを開く唯。
 普段は「あんなとこ触った手で触ったマウスなんか触れるか」とか言ってたくせに、怒りとはこうも人の見境をなくすものなのか。ついさっきまでそういう状態だったということを言えば…… 黙っておこう。
 さて、唯の予想に反して、マイコンピュータに表示されたのは、「DVD/CD-RW ドライブ」のアイコン。女の子の顔のアイコンなぞ何処にも無ければ、他のメディアが入っている様子も無い。
「ふむぅ、俺にはなんと書いてあるのか読めんのだが、唯君そのエロゲームとやらのタイトルを読み上げてくれんかね?」
「くっ…… か、仮想ドライブ。そうよ、DeamonToolか何か使ったんでしょ!」
「ちなみにその隣にあるEドライブの方も読んでくれると助かるのぅ」
「じゃぁ、動画再生したんでしょ。最近開いたファイル見れば分かるんだか」
「最近はエロ画像しか開いた覚えがないなぁ」
 スタートボタンをクリックしたまま、マウスポインタが静止する。そんな馬鹿なという形容がこれほどにないまで似合う顔をして、唯は完全沈黙する。
「おやおや、まったく。まさかこの家に昼間から頭の中がピンク色の奴が居るとは……」
「う、うるさい!」
「うるさい? 何がうるさいのかね、君にしか聞こえないエロゲのあえぎ声かね? 世間様を救う前に、まず自分を救ったらどうだね。ん〜、唯さん?」
 プチンと何かが切れるような音が聞こえたと思うや否や、目前にきらめく水晶が見える。純度の高い水晶に俺の顔がはっきりと映ったら、次に世界が暗転した。
 殴られた、正面から。その痛みに意識ばかりがいってしまい、踏ん張りの利かなくなった足元が崩れる。バランスを崩した俺がしたたかに後ろに倒れると、止めとばかりに側頭部にラジカセがクリーンヒットする。
「ふん!!」
 捨て台詞の代わりに、荒ぶった足音を鳴らして部屋を出ていく唯。
 その怒りに震える後姿を眺めながら、俺は唯に気づかれないように、にやりと口元だけで笑った。
 勝った。完全勝利だ。あの、我が家の毒舌浮沈艦(と、俺が勝手に思っている)の唯がぐぅの音も出なかったのである。史実ならばスペインの無敵艦隊が敗れたのに匹敵する。我が家の歴史上に残る出来事といって良いだろう。
「ふふふ、実に、実に愉快だ! なぁ、クロよ?」
 クロが隠れていた押入れの戸から身を乗り出してくる。その後ろにはCDコンポ。
「ご主人様…… 唯ちゃんがかわいそうだと思わないですか?」
「何を言う。帰ってくるなり怒鳴り込んで、せっかくの俺様のエロゲーライフを邪魔する、あいつの方が悪い。これは下るべくして下った天誅。ただ、下るのが少し遅いから、俺が下したまでのこと。そう、いうなれば人誅!」
 「…… けど、結局最後には縁さん、負けちゃったですよね? というか、大の大人がそんな漫画の台詞言って恥ずかしくないですか?」
「う! い、いや、良い言葉に漫画も何も無いだろう……」
 まさかそんな的確なツッコミが入るとは思わなくて、言葉が詰まった。こいつ、また俺の本棚にある漫画を勝手に読んでいたのか。
 とりあえず、俺は咳払いしてごまかすと、クロとCDコンポを持ち上げる。そのまま歩いてベッドの上にクロを降ろし、俺のライフスタイルに基づき計算しつくされたベストポジションにCDコンポを置く。最後に、コンポの中から一枚のCDを取り出すと、それをケースの中に収める。
 タイトルはそう、「二次元美少女 濡れ濡れボイスコレクション 義理の妹チカ」。そういう声を集めたという、訳の分からない作品だ。
「まさか唯も、CDラジカセから声が出ていたとは思うまいて…… クククク」
「それ作った人間も、まさかこんなことに使われるとは思って無かったですよきっと」
「俺も確かにそう思う。というか、どう考えても需要無いよなこんなCD」
 実際、この悪戯を実行する為だけに買っただけで、たいして欲しい様な物でもなかった。というか、声だけで萌えられる、もとい抜けるだなんて、玄人の俺でも考えられない。
 せめて絵があれば話は別だが、このCDにはパッケージ以外に二次元の画像は存在しない。パッケージ兼小冊子の中には、ひたすら文字に落とされた台詞の数々がびっしりと書いてあるだけという、ますますもって需要が分からなくなる、そんなつくりなのだ。
「いまどきのミュージシャンのCDアルバムでも、スナップショットの一つくらいあるだろうに……」
「そういえば、ご主人様。それ、何円したんですか?」
「2500円」
 ギョッとした目でこちらを見るクロ。
 いやまぁ、なんとなく自分でもそういう反応が返ってくるなとは思った。
「高! ご主人様、何してるですか! そんな金があるなら、他にも色々買えたですよ!」
「いや、まぁ普通に買ったら高いかなぁとは思ったさ。けど、これで唯の奴をギャフンと言わせられると思ったら……」
「何言ってるですか! よく考えるですよ、2500円あったら、鰹節パックが何袋買えると思うです!」
「分からんよそんなの。つうか、お前のご主人が何を買おうが勝手だろう?」
 まったく、猫の癖にまるで小姑のようにくどくどと。俺が、俺のためにどう金を使おうが、俺の勝手だろう。いやまぁ、もったいないとは思わなかったでもないけど。
 やむことの無いクロのお説教。何故使い魔に、ここまで言われなければならんのか分からないのか。今ひとつ釈然としない。
「聞いてるですか! ご主人様!」
「だから、何で使い魔のお前が主の俺に説教してるんだ! おかしいだろ!」
「僕を使い魔らしい使い方したことも無いくせによく言うです! そういうことは、いっちょまえに僕を使役してから言うです! このへっぽこ魔法使い!」
「へ、へっぽこだと!」
「そうです! へっぽこで、根暗で、二次元趣味で、痛くて、あとあと、童貞の魔法使いの癖に偉そうなこと言うなです!」
 こいつ。言うに事欠いて、主をへっぽこ扱い以下略とは。いくら身に覚えの無い中傷とはいえ、流石に温厚な俺もこれには怒髪点だ。
「…… そこまで言うなら! 使役してやるよ!」
 俺はクロを指差す。刹那、うなりこそあげないが、光った人差し指から矢が放たれ、狙いたがわずクロを射抜く。
 間抜けな叫び声と共にクロは光に包まれる。その光が弱まっていくと共に、クロの声が変わっていく…… よりアニメ調な声に。
「にゃ、にゃにしたですかー!」
「なに、たいしたことはしてない。ちょっと、お前の声を変えてやっただけだ?」
「ぼ、僕の声を…… って! これ、さっきのCDの声じゃないですか!」
 やっと気づいたかこの馬鹿猫め。
 俺はひととおり慌てふためき、青い顔をしてこちらを見ていたクロに、これでもかと言うほどの笑みを浴びせかける。
「お前が、あの恥ずかしい台詞を言えば、別にCDを買う必要なぞ無かったのだ…… そうだろ?」
「た、たしかにそうですが! けど……」
「いいから、言ってみろよ? え? 言えるものならよ」
 出来うる限り低い声を絞り出し、威圧的にクロに吐き捨てる。
 先ほどよりも顔を真っ青にして、こちらの表情を伺うクロ。それを、残念だけど明日の朝にはダンボールに詰められて捨てられるのよねという顔で俺は見下げる。
「何だ、あれだけのことを言っておいて、できないとか言うつもりじゃねえだろうな?」
「そ、そんなこと無いです…… ただ、ちょっと心の準備が」
「いいから、早くやれよ!」
 何時しか涙目になっているクロ。きっと自棄になった感じで目を吊り上げるも、口は中々開かない。
 何度か口をぱく付かせて、結局その場に倒れこむクロ。ついには、声を出して泣き始めた。
「ご、ごめんなさいです! 生意気言ったです! 謝りますから、どうか許してくださいです!」
 まったく。その程度で俺が許してやるとでも思ったのか。お前の言葉で、俺の心は深く深く抉られたのだ。それはもう修復不可能なくらいに。となると後は慰めるほか無い、かわいい美少女ボイスで。男の声で慰められるほど、俺は男は好きじゃない。というか、普通そうだろ。
 と、まぁ一応思ったが。何時に無く必死に許しを請うているクロを見て、親心であろうか、今日はこの程度にしておいてやることにした。泣いている奴をそれ以上泣かしても気分が悪くなるだけだ。それに、今は一応女声である、多少慰められないわけでもない。中身は男だが。
「まぁいい。勘弁してやる。分かったら、もう生意気言うなよ、クロ?」
「うぅ…… 分かったです。スミマセンです。ごめんなさいです」
「…… あぁ、もう。分かった分かった、俺もやりすぎた。鰹節くらいは買ってやるから、機嫌を直せ」
「五袋三百円の、真空パック高級版でお願いするです」
 けろりとした顔でそういうとニヤニヤと笑うクロ。
 こいつ、嘘泣きだったか。少し罪悪感を感じてしまった俺が馬鹿みたいだ。
「おまえ、本当にダンボールにつめてそこら辺に放り出すぞ?」
「甘いですよご主人様? 猫は気まぐれなのですよ?」
「ほほぅ、そんなにダンスを仕込まれたいか、え?」
「いやー、それにしても凄いですね。流石、稀代の大魔法使いと呼ばれるだけあるです。こんな簡単に、声を変えちゃうだなんて」
「聞けよ人の話を!」
「そうそう、声が変えれるなら、一つ変えてもらいたい人がいるんですが〜」
 必死で話をそらそうとするクロ。釈然としないでもないが、まぁいまさら糾弾してギクシャクするのもしゃくだ。
「はぁ…… 何だ、誰の声になりたいんだ?」
 とりあえず話しに乗ってやることにした。
 途端嬉々としてベッドの上で踊りだすクロ。この様子ならダンスも三日でマスターしてくれそうなものだ。
「ずばりですね、?さんです」
「お前、俺を小馬鹿にしてるのか?」
「違う違う、違うですよ。だって、アニメのクレジットに?ってかいてあるです」
「? 一体何の話だ? というか、お前深夜番組なんか見てるのか?」
 確かに家は皆夜はぐっすり寝れる家計だから、夜中まで居間でテレビ見てても何も支障は無いわけだが。まさか、主人を差し置いてそんなアニメを見ているとは思わなかった。声優名を?にしなければならないほど、やばい作品を見ているとは。
「うぅ…… もういいです。じゃあ、小杉十郎太さんで良いですぅ」
「あぁ、あの声優な。しかしまぁ、また渋い声優を選んだなぁ。えい!」
 多少不思議に思ったが、まぁ、クロが望むのなら仕方あるまい。
 俺は指先を振り上げて、クロを再び指差す。指先が光り、クロが光に包まれる。
「あー、あー…… うーん、何かちがうです」
「やっぱり、チャールズのイメージが強いよな……」
「にゃー、にゃー…… うぅ、やっぱり、ちがうです」
 まったくもって、何がしたいのか分からないクロは放っておくとしよう。なんだか、色々と疲れた。
 俺はCDケースを机の引き出しに入れると、台所に飲み物でも飲みにいこうとドアのほうを向く。
 が、その一歩が踏み出されるより早く、俺は後ろに体全体を引いた。目に入った光景に、とてつもない恐怖を感じて。
 そこに俺が見たものは。そのドアの隙間から見たものは、まるでホラー映画に出てくる幽霊みたいに顔をやつらせてこちらを見つめる唯の顔であった。
「ゆゆゆ、唯さん! い、何時からそこに!」
「あんたが、CDラジカセを取り出したとこからよ…… へぇ、そう。わざわざ私のためだけに、2500円も出してもらったとは、光栄だねえ」
 きぃと、ちいさくドアを鳴らして、唯が部屋に入ってくる。
 手には戦闘モードに切り替えた「魔法少女ステッキ」。既に魔法が発動しており、その先端には赤いバレーボール大の光の弾が生成されている。
「いや、その…… なんというか、ねえ」
「許してやるよ?」
「へ?」
 いつでも発射OKといわんばかりにこちらに向かって「魔法少女ステッキ」の照準を合わす唯。
 その目の、まるでどぶ川が腐ったような、もしくは死んだ魚のような目からは、何の希望も見えない。
「嘘だ!」
「嘘じゃないよ…… その魔法で、私の声を私のイメージにぴったりのにすれば、許してやらないでもない」
「う、嘘だ! 絶対嘘だ! 絶対難癖つけて、それで俺をぶっ飛ばすつもりだろう!」
「いいから、早くやれよ! でねえと問答無用で撃つぞ!」
 くっ。明らかに嘘だというのは、その表情から分かっている。けど、もしかしたら、万が一かも知れないが、唯が心変わりしないでもない。そのチャンスをみすみす逃す手は無い。
 しかし、唯のイメージに合う声優。いったい、誰だ。やはりここは、魔法少女か。いや、しかしこんな凶暴な魔法少女、成人向けのアニメとかゲーム以外で果たしていただろうか。
 と、そのとき。俺の脳裏に一人の天使が舞い降りる。
「あ…… そうだ、これだ!!」
 光る指先。嘗て無いほど険悪な表情でこちらを見つめる唯が光に包まれる。
「…… へぇ。随分と若々しい声だな……」
「まぁ最近やってるキャラクターが急に老け込んだがな…… しかしどうだ、良い声だろう? 魔法少女にはぴったりだろう?」
 にっこりと笑ったままこちらに杖を向ける唯。
 何だろう、分かっていたはずなのに、なんだか無性に悔しい。
「別にあたしはアニメの声にしろとは言ってなかったはずだよ。アイドルみたいな声にしろとは言わないまでも、せめて声の綺麗な歌手程度にしてくれても良かったんじゃないか?」
「いや、そんなこと言っても、俺そんな知識ないし。つうか、お前ぜったい俺を助ける気無いだろ! え、この悪魔!」
「…… 悪魔で良いよ」
 ぞくりと、俺の背中を悪寒が伝う。まさか、その声でその言葉を言われるとは。というか、もしかして、唯さん元ネタわかってらっしゃる?
 何時の間にやらバレーボール二個分くらいの大きさになった玉から一歩下がると、俺はちらりと下を見る。案の定、クロは既に部屋から脱出済み。なるほどなんとも、奴らしい。もう少し、唯を止めようとするなりなんなりすれば良いのに。まったく、役たたずめ。
「ゆ、唯さん、落ち着いて。そのね、著作権的にもいろいろやばいと思うから、こういうの」
 返答の変わりに、ずいと俺の顔面に「魔法少女ステッキ」を突きつける。
 にっこりと、死んだ目で笑う唯。
少し、頭冷やそうか
「だから、それは、な……」
 言うよりも先に、俺の顔面が跡形も無く吹き飛んだ。


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「いやー、それにしてもご主人様、よく無事でしたね」
「……」
「やっぱり、自動回復の魔法をかけておいたおかげですね。備えあれば憂い無しと言う奴です」
「……」
「あのぅ…… ご主人様? どうしたですか?」
「やぁ、アナゴ君! 体の調子は良いのかね? ん?」
「へ、唯ちゃんどうしたですか、いきなり?」
「ん〜、何か喋ったらどうだい? 折角の魔法で変えた君の美声が台無しじゃないかね」
「ち、ちくしょう……」


「ちくしょおおー!」