「大人の定義」

 自分が大人か子供かと言われれば、子供だと即答する。俺は大人が負うべき責任を全て回避してここまで生きてきた人間だ。家族を持つこともせず、誰かを愛することもせず、誰かを守ることもなければ、その答えを知りながら目を背けてきたような人間だ。ツケもへったくれもなく、その覚悟の先延ばしは、確実に俺の人生に暗い影を落としているように思う。
 しかしながら、子供の時間にどのように区切りをつけるべきなのか、俺にはまだ分からなかった。あるいは、この心地よい、心地よかった時間に別れを告げることを躊躇っているのかもしれない。未練たらたら、まだ、待っていればあの時間が帰ってくるだなんて、そんな甘ったるい事を考えている。
「ポーズを取るのもおっくうなんだ。今までだって、俺はそんなことをしなくても上手くやって来れた。どうして今更、そんなことをしなくちゃいけないんだってね。分かってるさ。これでも一度はポーズを取ろうとは思ったんだから。確かに子供のままで俺達は大人になることはできないさ」
「どこかで残酷に子供だった自分を突き放す必要がある。もちろん、君の言うとおり、それができないというのもよく分かるよ。なんとかなるものならば、僕だって、何も代えることなく大人になりたいものさ」
 誰だって考える道だ。そして、誰もが挫折する道でもあるのだ。
 子供の延長線上で人生は終わらない。どこかで僕達は子供から大人へと変わらなければいけない。そのどこかが、結婚だったり子供の誕生だったり、埋めがたい存在の喪失だったり、それだけの違いしかない。
 しかしそんな切っ掛けもまた、受け止める本人の気持ち次第でどうにでもなる。店長はそれをしっかりと受け止めて、こうして、大人へと見事な変貌を遂げて見せた。対して俺はと言えば、未だにぐずぐずと、子供の自分を遊ばせている。甘ったれた男なのだ。文句ばかりが一丁前の子供だったのだ。
 本当に本物の大人という奴は、なにもいわずに変わって行く。どういわれようとも、なにをいわれようとも、確固たる己を軸に、ぶれることなくこの世界をその二本の脚で歩き、日本の腕で切り開いていくものなのだ。
「お前さ。ずるいよ、俺を置いてきぼりにして、一人で大人になってさ」
「健太くんだってそうだろう。彼も、いつの間にか、僕達の手を離れてから大人になった。けれど、君を置いて大人になっただなんて僕は思ってない」
 心のどこかで僕達は、まだ、あの頃の生活に、軌跡の様な子供自体の中に居るんだ。思い出よりもまだ生暖かい熱を伴った、子供の延長線上に、僕達は居る。それはやはり俺のせいなのだろう。俺が彼らの心の中に、未だに過去と決別できない、しこりを植え付けてしまっているのだろう。
 冷めた急須からお茶を椀に注ぐ。冷えたお茶を口の中に含めば、すっぱい渋さが口いっぱいに広がる。人生はこのお茶の様なものなのだろうか。いつしか甘く熱かった時代は過ぎ去り、苦く青臭さだけが残る、そんな冷たいものになってしまうのだろうか。そしてそれが大人になるということなのか。
「ゆっくりと整理していけばいい。君は、僕より、まだ随分若い」
 すまない、と、俺は店長に謝った。店長はただ優しく笑っていた。