「味噌舐め星人の詩」


 B太と話した夜のことだ。店長の家を訪れる一日前の夜のことだ。俺はなかなか寝付くことができずに居た。店長に明日会うと意識したのも寝付けない原因の一つだったが、より俺の心をざわつかせたのは、夕方にしたB太との会話内容であった。彼に対して、俺は、なんて心無い事をしてしまったのだろうか。彼だけではない、店長に、醤油呑み星人に、雅に、観鈴に。皆、皆、俺がこんなどうしようもない人間なばかりに、心を痛めているのだ。
 どうすれば良いのだろうか。このまま逃げ続ける人生で良いのだろうか。己の非力さに立ち向かうべきではないのか。けれども、どうして、俺の様な男がまともに生きられるというのだろう。俺を心配してくれる彼らの為にまともに生きようとも思えぬ、臆病者の俺に、こんな愚図の俺に。
 俺だって、まともに生きられるものならば生きたい。かつて、味噌舐め星人の為に、蘇った詩瑠の為に、俺は自分の人生について真剣に考えた。どうすれば、人並みに幸せに生きられるのか。頭が悪くまともな仕事もできず、体格も良くなければ力仕事もできない。かといって、口も達者でなければ、手に職だって持っていない。そんな俺でも、なんとかコンビニの店員として一生懸命働いて行こうと、そう思えた時期もあった。しかし、その思いを突然の惨劇によって崩された挙句、生きる希望とまで思えた味噌舐め星人まで失った俺は、俺には、もう、こうして、消し炭の様に生きて行くことしかできない。また、あの時の様に、無残に生活が壊されてしまうのだと思うと、俺の力では、誰一人として守れないのだ、平穏を守れないのだと思うと。
 震える手で俺は部屋の窓を開けた。闇に混じって静に雨が降っている。暗澹とした空を見上げながら、俺は手を空中にかざした。手の甲に降った雨水を啜れば、それは涙の味がした。泣いたわけではないのに、何でだろうな。
 歌が聞こえた。懐かしい歌だ。俺と詩瑠と観鈴が、一緒に、並んで帰った時の歌だ。俺と味噌舐め星人とミリンちゃんが、並んで帰った時の歌だ。
 頬を伝う熱い液体。雨などではない。雨は俺の顔には届かない。
 涙が流れていた。涙を流していた。まるで他人事のように、俺は自分が泣いているという事実を把握して、そして、遅れて言い知れぬ悲しみと、敗北感が俺を包み込んだ。あぁ、どうしてだ俺の妹よ、俺の愛しい人よ。お前たちは二人とも逝ってしまったのだ。観鈴では駄目なのだ、雅でも代わりにはなりはしないのだ。詩瑠、お前でなくては、俺は、俺は生きて行こうと思えないのだ。二度死んだ妹よ。病に負けて死に、死の孤独に負けてまた僕の前に現れた詩瑠よ。死んだ彼女の代わりに現れ、自らの存在に疑念を抱いて消え、再び僕の前に現れながらも、再び消えた心優しい少女よ。
 お前たちのどちらでもいい。もし、帰ってくれるならば。俺の幸せな日々を、この現実を生きるという不幸を和らげる、お前という存在がまた俺の前に現れてくれたならば。俺はまた、立ち直れるのかもしれない。
 歌は下の階から聞こえてきた。味噌舐め星人が歌っているようだった。俺の知っている心優しい少女は、もっと歌うのが下手だった。似ても似つかない、そんな歌だったが、何故だかその歌は、俺の心を揺さぶった。