「僕の甘味の少ない幸せな青春その二十三」


 夢を見た。それは、僕と詩瑠と観鈴が出てくる夢だった。それ以外には誰も現れない、誰も邪魔する者の現れない、楽しく心地よい夢だった。
 僕と詩瑠は二人でお茶を飲んでいた。本当に、ただのお茶。冷蔵庫に入れてある様な、プラスチックの筒に入っている麦茶を、僕らは二人で飲んでいた。何も言わずに、何もせずに、ただひたすらに。観鈴はといえば、僕らがお茶を飲んでいるテーブルからは少し離れた所で、床に画用紙を広げて絵を描いていた。この位置からはよく見えないが、どうやら僕達の絵を描いているらしい。僕がお茶を飲むのに飽きて、何か食べ物を取ってこようかと席を外そうとすると、動いちゃダメと、観鈴が大きな声で僕を静止した。芸術家の観鈴ちゃんは手厳しいな。僕が詩瑠に微笑むと、相槌代わりに彼女は微笑みを返してきた。優しい優しい、目が覚めるほど可憐で健気な笑顔を。
 僕はふと、無性に悲しくなった。この夢の中に出てくる詩瑠が、死んでいるのだと、今、現実の世界には居ないのだと、思い出してしまったからだ。そうだこれは夢だ。幸せで、だけれども無意味な、ただの幻なのだ。起きればそこには詩瑠の居ない現実が待ち構えていて、観鈴もまた居ないのだ。
「どうしたの、お兄ちゃん。急に泣き出したりなんかして」
 ごめんよ、と、僕は今や僕の頭の中にしか居ない詩瑠に謝った。それは、泣いてしまったことに対する贖罪でもあれば、彼女の死から逃げるように味噌舐め星人と仲良くなったことに対する、後ろめたさの吐露でもあった。
 お腹でも痛いのと、詩瑠は僕に心配そうな視線を投げかける。観鈴もまた僕の事を心配して、画用紙とクレヨンを放り出して、僕の方へと駆け寄ってきた。おにいちゃん、どーしたの、もしきゃして、ぽんぽんいちゃいの。痛いのいちゃいのとんでけぇーって、みしゅじゅしてあげようきゃ。ありがとう、けど、大丈夫だよと、僕は観鈴の頭を撫でた。本当の本当に大丈夫と、詩瑠と観鈴は更に僕を心配そうな視線で見つめてきた。その視線が、なんだか妙に心に刺さって、僕は大丈夫だと言いながら、ついに泣き出した。
 何がそんなに悲しいのか。悲しさが次から次に僕におしかけてきて、そんなことを考えられる暇もない。とにかく、僕は泣きじゃくった。汚らしく泣いて、そして、気が付けば、詩瑠のひざまくらの上でむせび泣いていた。
「お兄ちゃん、何がそんなに悲しいの。どんな嫌な事があったの」
「それは、お前が死んでしまったから。次に僕が目を覚ました時、そこにお前の姿がないから。こうして夢の中で会う事しかできないのが、悲しくて」
 詩瑠は僕の頭を撫でた。僕が観鈴の頭を撫でるように。今まで、僕が詩瑠にしてきたように、優しく優しく、その悲しみを消し去る様に。
「お兄ちゃん。良いんだよ。私の事なんて、忘れてくれたって」
「忘れられるものか。忘れてたまるかよ。詩瑠、お前は、俺の大切な」
「嬉しいわ。お兄ちゃん。お兄ちゃんがそこまで私の事を思ってくれて」
 けど、今のままじゃダメだわ。きっと、お兄ちゃんの為によくないの。
 いつの間にか詩瑠は消えて、部屋には僕と観鈴だけが残されていた。詩瑠の飲んでいた麦茶のグラス。その表面の水滴が音もなくテーブルに落ちた。