「僕の甘味の少ない幸せな青春その十八」


 家に帰ると味噌舐め星人がソファーに寝転がっていびきをかいていた。鼻提灯なんか膨らまして、まったく呑気な事この上ない。この女に、僕の苦悩の半分でも分けてやれたなら。そんなことにもしなったら、更に仲良くなってしまいそうだな。苦労なんて下手にするから、人に優しくなるのだ。
 僕は彼女を起こさないように、リビングのテーブルにお土産のおにぎりが入った袋を置くと、そのまま二階に上がった。部屋に入ると、味噌舐め星人に閉じ込められたのか、コロ太が僕の布団の上で丸くなっていた。僕が入ってくると、少し顔を上げて、ばぅ、と力ない鳴き声で挨拶をする。なんだよどうしたんだ。そんな元気のない顔をして。味噌舐め星人との仁義なき闘いにつかれたってのか。悪かったな、早速、一抜けしちまって。僕はコロ太の横に寝転がると、優しくその首元の毛を撫で上げた。するとコロ太は、まだ本当に小さくコロコロだった時のように、だらしなく顔を緩めて、ベッドの上で転がってじゃれるのだった。なるほど、これはもうゴロ太でもおかしくはない迫力だな。コロ太におしくらまんじゅうでベッドから追い出されそうになった僕は、彼の首に手を回して、足で胴を抑え込んでやった。
「なぁ、コロ太、お前は偉いな。今でも詩瑠の事ちゃんと覚えているんだろう。死んじまっても、まだ、大切に思っているんだろう。偉いよ、偉い」
 それじゃぁ、僕は詩瑠の事を思っていないのかといえば、そういう事はない。今でも、彼女の事を僕は思い出すし、彼女の為に涙を流すこともある。ただ、味噌舐め星人という代わりを見つけて、僕の生活から足りなくなった部分を埋めたおかげで、幾らか、心は楽になっているのかもしれない。
 一匹、孤独と戦うこの犬に、飼い主の僕は何がしてやれるのだろうか。寂しそうにしているなら、彼の体をさすってやることくらいだろう。
「なぁ、コロ太。お前、詩瑠に会いたいか?」
 くぅ、と、彼は小さく鳴いた。寂しい声だった。切ない声だった。犬の言葉は分からないが、感情くらいは分かる。この悲しみを癒してくれる相手はいない。癒されるのも拒んでいる。彼はこのまま、最愛の主人を失った思いを抱いて老けて行くのだろう。決して満たされることはなく。
 それでいいのだろうか、とも思う。それで生きている者の人生は良いのだろうかと。死んだ者に縛られて、自分さえも、向こう側に半分足を踏み込んでしまってかまわないのだろうかと。死人を想って生きる日々に、いったいどれほどの意味があるのだろうかと。そんなこと、もし、詩瑠が目の前に居たならば、口が裂けたって言えないだろうに。けど、思ってしまうのだ。
 なぁコロ太。お前も良いんだぞ。苦しいのなら、詩瑠の事を忘れてしまったって。そんなことで怒るほど、俺達の詩瑠は度量の狭い女じゃないだろ。きっとあの娘だったなら、笑って許してくれるだろうさ。むしろ俺たちが、死んだような目をして、彼女の死に縛られて生きている方が、彼女を悲しませるだろうよ。なぁ、コロ太。もう、死んだ人に縛られるのは止めよう。
 ふと、コロ太が僕の手を噛んだ。甘噛み、だけれども、眼は悲しみと静かな怒りを孕んでいた。決意の眼だ。コロ太、お前という奴は。