「味噌舐め星人の一人寝」


 雅がホテルに入ったことを確認すると、俺は自分の部屋に戻って、天井の電気を消すと、布団に寝転がった。暗くなった部屋の中で瞼を閉じれば、自然と眠気が襲ってくる。夜更かしはするものだ。雅となんやかんやと話している内に、丑三つ時なんて言われる時間になっていた。こんな時間まで起きていれば、嫌でも眠気は沸いてくる。目の窪みに、眼球が沈み込んでいくイメージ。すぐに俺の視界からは瞼の裏の模様も消えて、黒い下地に絵の具をこぼしたような、不気味な心象画によって覆われてしまうのだった。
 そこから、俺の視界が意味のある光景に変わるのに、少しばかり時間がかかった。それはいつだったか、詩瑠と観鈴と親父とで行った、森林公園の光景だった。林道に並んで沢が山の方から流れていて、俺と詩瑠はその沢を山に向かって歩いていた。親父と観鈴は居ない。雨が降ってきたら大変ねと、詩瑠は言った。どうしてだいと聞くと、鉄砲水が来るから、と、沢の前方を指差して俺に言った。そういうものなのか。詩瑠は、よく物を知っているんだなと、俺は賢い妹の事を褒めてやった。すると、それくらい当然よと、生前の彼女からはちょっと見られなかった、冷たい表情を彼女は僕に向けた。
 次の瞬間には、並んで歩いている少女は詩瑠から塩吹きババアに変わっていた。いや、どちらも詩瑠には変わりない。今は消えてしまった彼女は、僕の手を強く握ると、行きましょうお兄ちゃんと、怪しく微笑んだ。どこに連れて行くんだい。訊き返したが彼女は答えてくれなかった。まぁいいさ、彼女に連れられてなら、地獄でも天国でも、どこにでも行ってやるさ。
 風景は変わらず、俺たちは沢の上流、大きな滝つぼの前にたどり着いた。遥かに高い、切り立った崖の上から流れ落ちる滝は、滝つぼを激しくかき混ぜて、その底を僕たちに覗かせはしない。飛沫が涼やかに宙を舞っている。
 ねぇ、お兄ちゃん、覚えているかしら。昔、私たちは二人でここに来たのよ。森林公園の遊具で遊び疲れて、もう家に帰ろうと車に戻ったら、お父さんが車で寝てしまっていたの。みーちゃんの世話で疲れたのね、それで、帰れないなら、もう少し辺りを探検しましょうかって。お兄ちゃん、私が疲れた、もう帰りましょうって言っても、まったく聞いてくれなかったわよね。そんなこともあったかな、細かい経緯なんてすっかり忘れてしまったよ。
「ねぇ、お兄ちゃん。私ね、そこで見たのよ。お兄ちゃんには言わなかったんだけれどね。この滝の下に、何かが居るのを、私見つけたのよ」
 覗いてみて、と、塩吹きババアが目で促した。俺はゆっくりと滝つぼの水面に顔を近づけると、その下に何が居るのか伺ってみた。しかし、激しく波打つ水面に、とても、水底に居る何かの姿を盗み見ることはできなかった。
「見れないよね。私も外からじゃはっきりとその姿は見えなかったの」
 顔を水の中に入れて見てみろ、暗にそう言っているのか。俺は恐る恐る、揺れる水面に顔を近づけると、鼻の空気を抜いて、顔を水の中に潜らせた。
 白く、細長い、何かが見えた。滝つぼのそこで蠢いている、人の腕ほどあるそれは、こちらを伺うようにゆっくりと鎌首をもたげて、そして、巻き付いている詩瑠とコロ太の体を締め付ける。それは、白い大蛇だった。