「僕の幸せな幸せな子供時代、そのにじゅうに」


 僕と僕の家族の日常は、彼女の死になんら影響されることなく、いっそ申し訳ないほど幸福に過ぎて行った。僕はあっという間に高校三年生になり、詩瑠はあっという間に中学生になった。舌足らずだった観鈴はすっかりと普通に話せるようになって、益々子役としてテレビで活躍中だ。我が家の生活は、観鈴の頑張りと、父さんの再転職でとても潤っていた。生来の生真面目さと外仕事で鍛えた交渉能力が幸いして、父さんは観鈴の第二マネージャーから、正式な芸能プロダクションの正社員になった。すぐにマネージャーから退いたらしく、現在の役職名はよく分からないがとりあえず母さんの様なマネージャーに指示を出す仕事をしているらしい。母さんは依然、観鈴の専属マネージャで、雇われだという事を考えると、少しやりきれない。
「あっ、お兄ちゃん、みーちゃんのCMがまたやってるわよ」
 詩瑠に言われて僕がテレビに目を向けると、ふりふりとした可愛らしい衣装を着た観鈴ことミリンちゃんが、ミリン風味調味料を手に持って、歌って踊っている。それは観鈴の芸名である、大園観鈴の名を全国区にした大ヒットCMで、去年のCM大賞にも選ばれた人気作品であった。何が面白いのか僕にはちっとも分からなかったけれども、詩瑠はとてもそのCMを気に入っていたし、学校のクラスメイトの評価も好評であった。ただ、可愛い女の子が、可愛い恰好をして、可愛く踊るだけで、可愛いと思われるらしい。
 裏話をするならば、最初観鈴はこのCMへの出演に乗り気ではなかった。CM制作会社と広告主の大手調味料会社とで行われたオーディションで、観鈴は本当に酷い演技をしたのだった。観鈴はとてもませた子で、子役だというのに、気分は既に女優のそれだったのだ。なので、女優のイメージをまったく無視して、合格した役者に見るからに頭が足りていなさそうな服を着せて、広告主の主力商品であるミリンを片手に持たせて躍らすという仕事の内容に、観鈴は強い拒否感を覚えたらしい。彼女にとって、CMで子供っぽい服を着て踊るという行為は、女優の仕事ではないという認識だった。
 しかし、女優の意向を完全無視したCMは、女優のやる気の有無も完全に無視して観鈴をイメージガールとして採用するに至った。後に決め手を父親伝手に聞いたが、大人の女性では頭の悪そうな恰好をさせるのに無理があるということ、そして、観鈴の名前が、ミリンとも読めるからという、酷くどうでも良い、勝手な理由だった。オーディションで悪態こそつかなかったものの、大ポカをやらかしたミリンとしては、ありえない起用にショックを隠せなかったが、どうにもオーディションをした割には、広告主もそこまで今回のCMに対して本気で取り組んでいる訳ではなかったらしく、やっつけ仕事で良いならばと、観鈴はしぶしぶと、ひらひらとした低年齢向けな女の子アニメやらに出てきそうなそんな服を着て、ミリンを片手に踊り歌った。
 そして、誰も予期しない大ヒットである。一作目が公開されるや、お茶の間の失笑を買ったそれは、確かに売り上げに貢献した。そして、このすべり戦法でもう一度と作ったCMがまたヒット、更にもう一本もう一本と続けるうちに、いつの間にかミリンちゃんは、お茶の間の人気アイドルになった。