「僕の幸せな幸せな子供時代、そのにじゅういち」


 それ以降、彼女の姉が僕に何かを語りかけてくることはなかった。僕から彼女に何か特別に聞くこともなく、僕は日記を読み終えるともとあった場所に戻して彼女の部屋を出た。姉がどうして隣の部屋に居る僕の存在を知ることができたのか、その謎が頭を過ったが。部屋を出てからよくよく考えればそれはくだらないトリックで、壁に穴でも開いていたのだろう。そう勝手に納得すると、僕は興味を失った彼女たちの部屋に背を向けた。
 彼女が学校で死ぬことを選らんだ理由の一つには、あの部屋があったのかもしれない。今日、僕が入ってきたことに彼女の姉が気づいたように、姉は妹の部屋の中での行動を恐らく把握していたのだ。その関係が、果たして彼女にとって煩わしかったのか、それとも両者合意の上での関係だったのかは分からないが、姉の事を慕っている彼女には、姉の目の届くところで自殺行為に及ぶという事はとてもできなかったのだろう。彼女は時々、あの姉の事を重荷の様に話すことはあったが、しかし、それでも嫌ってはいなかった。
 沈痛な葬儀の中に紛れ込むと、僕はもう一度白い顔をして笑っている彼女の遺影を見た。どうして君は死んでしまったのだろう。死んだ時まで、そんな笑ってなくても良いじゃないか。僕は君の悲しみを受け止めるには不十分な男だったのかい。それとも、本当に、君が死んだのは事故だったのかい。
 見るのが辛くなって僕は遺影に背中を向けた。そして、もうこれっきり、彼女の事など忘れてしまうつもりで、彼女の家を後にした。ただ、僕の中にあるのは、置いて行かれた悲しさと、相手にされなかった虚しさと、彼女の体を失った喪失感と、自己愛に溢れる心に対する嫌悪感しかなかった。彼女の死を純粋に悲しむ感情なんて、僕の頭の中にも、心の中にもなかった。
 僕の身近に起こった死という出来事についての物語はこれで終わりだ。この話について、僕が何か教訓めいたものを学んだとするならば、それは僕の中で何者かの死という事象が持つ重さだろう。それは僕が思っていた以上に軽く、限りなくどうでも良い物だったし、僕が思い描いていた感情を呼び起こすには、余りに遠くかけ離れた所にある、煩わしいだけの事象だったという事だ。あるいは、それは僕についての自己評価でもあって。僕は誰かの死について泣いてやることもできない冷血漢であり、言い方を変えてしまえばタフな奴だった、ということだろう。それを自覚して自己嫌悪に陥る程度には、僕はまだ人間を止めてはいないようだが、どうにも、自分の心の空虚さには驚かされた。もっとも、僕の周りで誰かが死ぬことはこれが初めてだったので、戸惑っているだけなのかもしれないが。とにかく、そんな訳で、僕は彼女の死んだ一週間後には、笑って詩瑠とテレビを見ていたのだ。自分たちの妹が活躍しているドラマを、リビングでクッキーを食べながら。
「ねぇ、お兄ちゃん。もし私が死んでしまったら、お兄ちゃんは悲しい?」
「悲しいと思うよ。だって、詩瑠は大切な僕の家族だもの」
 なにそれ、そんなおざなりな言い方、と、テレビ画面から顔を逸らした詩瑠はむくれっつらで抗議した。クッキーを片手に言う様な事ではないかもしれない。僕のタフさ加減には、鈍感加減には、つくづく呆れてしまうよ。