「僕の幸せな幸せな子供時代、そのじゅうなな」


 次の日、観鈴は僕達より早く起きて母と一緒に東京へ行った。残された僕と父と詩瑠は彼女たちから二時間遅れて布団からはい出ると、母さんが作っておいてくれた朝食を囲んで食べた。味噌汁と玉子焼きときんぴらごぼう。冷めてはいたが流石は主婦業を十年やってきただけはある。久しぶりに作ったとは言っても、母の料理は僕が作ったものとは雲泥の差があった。
 それにしても、父がこの時間まで家にいるのは珍しい。最近は、母と同じか、少し遅れて家は出ていたと思ったが、今日はどうしたのだろうか。
「詩瑠、お前、父さんに何か話があるんじゃないのか?」
 詩瑠の肩がびくりと震えた。そう言えば、昨日は母が帰って来たごたごたで忘れていたが、詩瑠がコロ太を飼う話をしていたのだった。少し会社に行く時間を遅らせて、詩瑠から直接話を聞いておこうということなのか。
「あっ、あのっ、お父さん、あのね。私ね、学校でワンちゃんを拾って」
「お兄ちゃんからそれは聞いた。しかし、一応お前からも話を聞いておこうと思ってな」
 生き物を飼うという事はそんな簡単な事ではない。詩瑠の気持ちを今一度確かめておきたいという、父の思惑はなんとなく分かった。
 前に飼っていた犬も、元は父が連れてきたものだ。犬や猫こそ飼っていないが、父の書斎には大きな水槽があり、熱帯魚が飼われているのも知っている。母と違い父が生き物を飼う事に理解があるのは、また同時に生き物に飼う事に対して責任を持っているという事でもあった。そうでなくても厳格な父のことである、生き物を飼うからにはちゃんと飼って欲しいのだろう。
「一か月続けたそうだが、これからもちゃんと続けて行く事ができるな?」
「で、できるよ、うぅん、できます。できるから、お父さん、ワンちゃん、コロ太を飼ってもいいかな。お願い、お願いします!」
 詩瑠の顔を睨み付ける様に見つめると、父は一度深く頷いて、手を彼女の頭に伸ばした。そして、その小さな頭をゆっくりと揺らし、柄にもなく笑って見せた。良いと言いたいのだろう。言葉少ない父らしい了承だった。
 ありがとうお父さんと叫んで、詩瑠は座っていた椅子から飛び降りると、テーブルを回り込んで父に抱き着いた。こら、止めろ、と、楽しそうに父さんは詩瑠を受け止める。微笑ましい休日の親子の風景とでもいうタイトルが似合いそうな、そんなやり取りだった。僕も可笑しくなって少し笑った。
「さて、あとは母さんだけだけれど。どう説得したものかな」
「母さんには私が話しておいた。飼っても良いそうだ」
 本当、と、僕と詩瑠の声が重なった。父さんは静かに頷いて僕が注いだ熱い緑茶を飲んだ。あの母さんがよく了解してくれたものだ。
「これからお前たちには、何かと寂しい思いをさせることになるだろうからな。犬くらい好きに飼わせてやればいい、だとさ」
「寂しい思い? なんのことさ? それより父さん仕事は良いの? もうそろそろ家を出る時間なのに、まだ寝間着だけれど」
「良いんだ。仕事は辞めた。今日から父さんも観鈴のマネージャーだよ」