「僕の幸せな幸せな子供時代、そのじゅうさん」


 確りと僕の手を握りしめ、観鈴は泣きそうな眼をして僕を見上げていた。遊びたい盛りの彼女が、子役の仕事で忙しく、遊ぶ暇がないのは僕も知っていたし、内心可哀想だとも思っていた。けれども、時間が時間だ。明日も観鈴は朝が早いのだろう、今から遊んでなどいたらきっと寝不足だ、後で辛い目に合うのは観鈴である。ここは心を鬼にして、もう寝なさいと言ってやるのが、本当の思いやりというものだろう。とは、僕も思うのだが。
「ねぇ、にいちゃぁ、にいちゃ、あそぼぉよぉなのでぅ」
 両手を上げて僕の顔に必死に手を伸ばす、可愛らしい観鈴の仕草を目にしては、そんな言葉はとても出せない、出てこない。僕はどうしていいか困って、誤魔化すように観鈴の頭を撫でた。ふさふさとして柔らかいその髪を僕が動かすたびに、観鈴はくすぐったそうにそして眠たそうに顔をしかめた。
「駄目よ観鈴、お兄ちゃん。明日も仕事で朝早いんだから、夜更かしなんてしてちゃ起きられなくなるわ。二人とも、もう寝なさい、いいわね」
「やーなのぉ、にいりゃぁとあしょぶのぉ! やなのぉ、やーやー、みしゅじゅ、あしょべないなら、もうおしごしょやめるぅっ!」
観鈴、何言ってるの!! 仕事を辞めるなんて、そんな馬鹿なこと言うんじゃありません!! お母さんはそんなの許さないわよ!!」
「やぁらぁ、やあらぁ。だっておしごちょつまんないんりゃもん!! みすじゅは、おしごとしゅるより、にいちゃぁや、ねぇちゃぁと、あしょびたいもん!! まぁまぁのバーカぁ!! バーキャァ!!」
 観鈴、と、怒鳴って母さんが立ち上がる。いつになくヒステリックに顔を歪めさせ、紅潮させた彼女はこちらに近づくと、手を振り上げる。まずい、観鈴をぶつ気だと、咄嗟に気づいた僕は、彼女の前に立ちはだかった。
「どきなさいっ!!」
「落ち着いてよ母さん。ちょっと観鈴がぐずっただけじゃないのさ」
 ぱんっ、と、僕の頬が鳴った。続いて、じんわりと、まるで涙が溢れ出てくる時の様に、ゆっくりと頬の上に痛みが広がっていく。
 打たれたのだと気付いたのは、目の前に立つどうして良いのか分からない表情をする母さんと目があった瞬間だった。なんだよ、打っておいて、なんでそんな顔をするんだよ。痛いのは、僕だって言うのに、さ。
 狼狽える母の腕を、父が掴んだ。何をするんだ、と、目で訴える父に、母は、だって、だって、最近観鈴が仕事を止めたいって五月蠅いから、と、涙声で答えた。父の胸に泣きつく母。おかしいよね、打ったのは彼女なのに。
 釈然としない上にどうしていいか分からない僕の背中で、更に追い打ちをかけるように、観鈴がとてとてと階段踏み鳴らして二階へと逃げて行った。
「ごめんなさいねお兄ちゃん、お母さん、どうかしてたわ、ごめんなさい」
「謝られても困るよ。それよりもさ、観鈴がこれ以上仕事するのを嫌がってるなら、やらせるのは可哀想じゃないの。辞めさせてあげたらどうなのさ」
 嗚咽する母は、僕が幾ら待っても返事をしなかった。母さんは私が何とかするから、お前はもう寝なさいと父が言うので、僕はリビングを後にした。