「僕の幸せな幸せな子供時代、そのさん」


 もうとっくに日は暮れたというのに僕の家には明かりが灯っていない。右隣りの家も左隣も、玄関正面のアパートだって、暖かい光と賑やかな家族団欒の声に満ちているっていうのに、僕の家だけがお化け屋敷の様に、しんと静まり返っている。お父さんもお母さんも居ないのだからしかたがない。
 末の妹、ミ−ちゃんが産まれからというもの、僕たちの生活は昔と少し変わった。良くなったか悪くなったか、単純に言い切ることはできないが、お金の面では随分と生活は楽になったように思う。家族仲も昔と比べて決して悪くなったということはない。ただ、僕と詩瑠が幾らか寂しい思いをすることになったという事実を無視するならば、僕たち家族はこの不景気なご時世に、経済的なステップアップに成功したと言って差支えないだろう。
 ミーちゃんこと御園観鈴はとても可愛らしい赤ん坊だった。余りに幼い頃で記憶はおぼろげなのだが、詩瑠の幼いころよりも三割増しに可愛いように思える。そしてその可愛さは、たまたま母さんと観鈴の病院に来ていたテレビドラマのプロデューサーの目に留まった。当時、そのプロデューサーは来期から始まる月曜九時の番組を撮っていたのだけれど、ドラマで登場させる赤ん坊についてどうしようかと思い悩んでいた。ドラマの撮影現場に近い産婦人科病院を手当たり次第に回ってみたけど、なかなか思うような赤ん坊に出会えず悩んでいたところ、新生児室で眠る観鈴を見てこれだと思ったそうだ。まぁ、母さんをその気にさせる為に、プロデューサーが多少の誇張は含めて言っているのは間違いないだろうが、とにかくそれで、御園観鈴は産まれてまもないのに、テレビドラマに出演する機会を得た。
 お金の話をお父さんもお母さんも僕たちにすることはしないが、お父さんやお母さんの会話の声色から察するに、まずまずご機嫌な額が出たに違いなかった。そして、その時、プロデューサーから、もしまた子役が必要になった時に連絡させてもらいます、と、名刺を渡されたのが、僕達家族の、とりわけ母さんと観鈴の運命を変えた。母はその名刺一つを基点にして、映像・放送関係に知り合いを増やし、自分の娘、息子を、子役俳優として売り込み始めたのだ。子役のプロダクションにも所属しないで、そうそう上手く事が運ぶはずなどないと、僕も、詩瑠も、父さんも、半ば母の行動をあきれた思いで眺めていた。事実その通りになり、僕と詩瑠に関しての売り込みは失敗した。だが、観鈴だけは貴重な赤ん坊役、とりわけ可愛らしい顔が功を奏して、様々な映像作品への出演依頼が我が家に直接舞い込んできた。
 一年が経った頃には、赤ん坊役としての旬も過ぎ出演依頼は落ち着いたけれど、代わりに、出演したドラマや映画を見た子役のプロダクションから、専属契約しないかという誘いが来るようになった。母は悩んだ末に、自分を観鈴の専属マネージャーとして雇ってくれることを条件として、今のプロダクションに所属した。そして、現在、僕や詩瑠の事をほっぽり出して、子役御園観鈴の専属マネージャーとして、芸能界を駆けずりまわっているのだ。
 実の妹がテレビに出ているというのは、少なからず誇らしい。けれども、できれば普通の兄妹として観鈴と接したい。僕と詩瑠の心境は複雑だった。