「B太とのノミニケーション」


 先輩。センパイ。ここの板さんとさっきの女の子って、もしかしてデキてるんすか。赤ら顔のB太が口元を手で覆い、小声で俺に尋ねた。わざわざそんな仕草をしなくても、声量を絞れば良いだけだろうに。そうなんじゃないのと、俺はそっけない返事をした。板前と徳利さんをこういう風にした張本人の癖に、なんともそっけない反応じゃないか。そんなそっけない俺は、徳利さんが持ってきてくれたビールを、そっけなく、勢いに任せて飲んだ。
 時刻は十一時を回ろうとしていた。お喋りばかりのバラエティ番組が始まり、いつまでたってもゴールデンで看板を持てないお笑い芸人達が、我が物顔でゲストを弄り倒す。これで潰れかけが以前の様につぶれかけたままならば、俺はチャンネルをNHKのニュースにでも変えていただろうが、今日は何人かの客が、カウンターに、座席に、居座って酒を飲んでいる。辛気臭いニュースなど見たくないだろう。馴染みだからこそこういう時には店に融通してやるもんだ。なんて、柄にもなく我慢していると、聞き慣れたCMソングが流れてきた。俺の可愛い妹、ミリンちゃんの味醂風調味料の宣伝だ。
 いいっすね、ミリンちゃん。成長してどんどん可愛くなってくっすね。このまま、アイドルから女優とかになっちゃうんすかね。いや、アイドルも何も、あいつの本業は舞台であって、そもそも女優というか俳優だ。このCMは、あの功名心だらけの親どもが勝手に取ってきて、勝手にやらせてるだけだ、ったと思う。ずいぶん前の話なので、よくは覚えていないが。そういうわけだから、少なくとも彼女は今も昔もそういう気持ちで仕事をしている。失礼な事を言うなと、俺は口にしかけたが、途中で止めた。ミリンちゃんと俺が兄妹だということは、一応、この男には秘密なのだった。店長もだが。
 センパイ。なんか、目が据わってますけど、大丈夫っすか。どうやら、ミリンちゃんについての事を考える内に、顔が真剣になっていたらしい。なんでもないよ、ほら、飲めと、俺はB太に言うとジョッキを呷る。ビールもこう何杯も飲むと流石に飽きてきて、苦いばかりで美味いということは少しもなかった。センパイ。そろそろ帰りませんか。俺、正直、もう飲めないっすよ。とりあえず、その一杯くらい片付けろ。マグロの刺身を突き、くだらないバラエティ番組を眺めながら、俺は胃の中に溜まったガスを吐き出した。
 店長から預かっていた五千円札を出し、残りをB太と二人で折半する。店を出ると、急ぐような空っ風が吹きつけて、酔いも覚めそうになる。風までも急いでどうすると、師走の空を見上げると、淡い三日月が光っている。綺麗っすねと、冗談みたいな台詞を吐くB太。そんな台詞は、女と一緒の時にでも取っておけと、その頭をどついてみせると、B太はいつもの人の良さそうな笑みを浮かべて、上着に手を入れた。そいじゃまぁ、帰りますか。
 歩きながら居酒屋での話の続きに花を咲かす。最近の店長の浮かれ具合に対して、二人共、苦々しく思っているというのが分かっただけで、今日のノミニケーションは成功と言って良いだろう。やがてB太のアパートと俺のアパートとの分かれ道に差し掛かり、それじゃぁと、俺はB太に背を向けた。
 今日に限って、なぜか、いつも愛想の良いB太は俺に返事をしなかった。