「涎を垂らした居眠り女は、起き抜けに睨みつける」


 牛丼を食べ終わって時計を見れば、ちょうど良い塩梅の時間だった。会計を済まして店を出る、地下街を通って駅へと戻る。相変わらずうんざりするような人ごみの中を進み、のりばへと辿り着くと券売機に万札を突っ込んで切符を買った。こんなに釣り銭が多いことはちょっと無いなと、出てきた札とメイドさんにもらった万札を財布に入れると、レシートに隠れてちょうど切符を買うのに十分な額の千円切があるのに気づき、少しへこんだ。まぁ、そんなこともあるだろうさ。そうこうしているうちに急行電車がホームに到着する。平日の昼間で空いていた急行電車は、なんとか座ることができた。
 窓に頭を載せて瞳を閉じる。機能の夜から逆算して結構眠った後だというのに、まだ眠たいというのはどういう事なのだろうか。長年のコンビニ勤務で疲労が蓄積しているのかもしれない。体が壊れてしまう前に新しい就職先を見つけた方が良いだろう。といっても、職歴の無い俺には無理な話だが。
 目を瞑って五分もしないうちに眠ってしまったらしい。電車の振動に、ガラスに後頭部を強かに打ち付けて気がつけば、降りる駅の一つ手前を過ぎた所だった。途中で人を多く拾ったらしく、辺りを見回せば大勢の人が俺を見て笑っている。居たたまれなくなって下を向く。なんとも恥ずかしい所を見られてしまった。そこかしこから聞こえてくる笑い声に、これがもし急行で無くて各駅停車だったならば、すぐにも次の駅で俺は降りていただろう。
 ふと、どんな奴等が笑っているのか気になって、俺は俯きながら視線だけを上げた。男のようなショートヘアーをした女の子達が、隠す素振りもなくこちらを見ながら、なにやら話していた。見た、さっきの、メッチャ頭ぶつけてるの。ダッサイよね、なにあれ。良い大人が電車の中で寝るなっての。あぁ、まったくその通りだね、不覚だったよ。ますます頬の温度が高まって行くのがなんとなく分かった。ミリンちゃんといい、この娘達といい、どうも若い女の子というのは苦手だ。早く、次の駅につかないものだろうか。そんな風に、俺が願うように思ったその時、隣で除夜の鐘のような音がした。
 っ、つぅううう。可愛らしい女の子の呻き声が隣に響く。それは昨今流行りのアニメのヒロインのような、子供の頃はよくアニメを見ていた俺が、ついについていけなくなってしまった、演出過剰気味なそんな声をしていた。そして、そんな声がすれば誰だってその方向を見るというもの。俺の続いて電車内の皆さんの視線をかっさらったそいつは、何ともまぁ因果な事に俺の隣に座っていた。栗色の短い髪に寝ぼけた眼差し、涎さえ垂らしていなければ美人な顔つきの彼女は、あぁ、うぅんだとか、可愛らしい声でおっさん臭いうめき声を上げると、ぶつけた頭を左右に激しく振った。どこかで見たことがあるぞ、この女、と、俺は思った、が、どこの誰なのか思い出せない。
 あんっ、なに見てるっすか、見せ物じゃねぇっすよ。女は唐突に奇異の視線を向ける俺たちを、誰を見据えるでもなく睨みつけるとそう言い放った。俺の時とは違い、辺りがいっせいに静まり返る。こいつとは関わってはいけないと、本能的に判断したのだろう。歳の近そうな、先ほど俺を笑った女子高生でさえ、静かに彼女から視線を逸らした。おっかない女も居たものだ。