「砂糖女史の介護」


 こんな時間になってしまっては、味噌舐め星人とどこかに出かけるという約束はとても守れそうにはない。壁にかけられた振り子時計が、十一時半を指し示し、窓の向こうから軽快な電子音が流れてきた。俺の住んでいる地域でもだいたいこの時間に鳴っているが、歳をとってなお、なんの為にこんな電子音を、昼前に町中に流しているのか、俺にはさっぱり分からない。メロディが少し違う理由もよく分からない。そもそも、この昼前にかかる電子音の元となった曲の名前だって、俺には分からないのだ。よくよく考えると、世界という奴は、よく分からないものが複雑に作用しあって成り立っているのかもしれない。そして今、なんでこんなことを考えているのかもよく分からないが。おそらくは、体と頭に残っている、アルコールのせいだろう。
 よく分からないことを考えていると、よく分からないうちに砂糖女史が部屋に戻ってきた。右手に持っているのはコップ、左手にぶら下げているのは昨日彼女が俺の働くコンビニで買っていった弁当。もうすぐお昼ですから、どうですか、食べませんかと、彼女は俺に小さな声で尋ねた。彼女が手にしている弁当の消費期限は、たしか昨日までだった。病人にそんなものを勧めるかね、普通。どうにもやはり彼女はまだ周りがよく見えていないらしい。二日酔いの人間だって、その程度のことは気づくというのに。まぁ、実際の所は、一日消費期限が切れた弁当など、しょっちゅう食べているのだが。
 とりあえず、後でそれは食べるよ、今は水をくれ。腹の中に溜まったアルコールのおかげで、水以外何も腹に入れる気分になれなかった。俺は、砂糖女史から水をコップを受け取ると、それを一口だけ含んだ。ゆっくりと、口内に染み渡らせるように飲み下すと、再びコップに口をつける。そんなことを数回も繰り返すうちに、コップの水はなくなり、代わって俺の口内は唾液による潤いを取り戻した。次に、なんとかしなくてはいけないのは、腹だ。
 吐いてしまえばいっそ楽なのだろう、しかし、今さっき水を飲んだばかりだ。すっきりとした口内を、再びすっぱい匂いで満たすのには気が引けた。では、どうやってアルコールを体内から出すか。下から出すしかない。さしあたって俺のアルコールの分解能に期待することにして、俺は体の上から布団を除けて立ち上がろうとした。下腹部は既に痛いくらいに膨れ上がっていて、股間は今にも暴発寸前。寝ているうちによく漏れ出さなかったものだ。
 あっ、と砂糖女史の声が俺の背中でした。世界がぐにゃりと歪んで、気づけば俺は畳に接吻するようにして、床の上に転がっていた。足に力が入らない。まるで法事や親戚一同の寄り合いで、長い間正座をしていたように、俺の足の感覚は麻痺していた。まずい、これでは用を足すことができない。
 倒れた俺を転がすようにして仰向けに寝かせると、やけに真剣な面持ちで砂糖女史は大丈夫ですかと俺に尋ねた。大丈夫なわけがない。はてさて、どうやってこの下の処理をしてやろうかと俺は自分の股間を覗く。性欲以外で怒張してしまったはしたないそれは、純情そうな砂糖女史にはとても見せられたものではない。それでも、先ほどから俺の下腹部を襲う尿意は、どうにも耐え難く。しかたなく俺は、砂糖女史に尿瓶を借りてきてくれと頼んだ。