「味噌舐め星人の干瓢」


 その後、俺が一体どうしたのか、何をしたのかは今ひとつはっきりとは覚えていない。しかしながら次の日の朝、まだ夜も明けないうちから息苦しさに目を醒ますと、俺はふかふかとした味噌舐め星人の布団の中でなぜか眠っていた。すぐに辺りを確認すると、隣には味噌舐め星人、頭上には塩吹きババアが、どちらも俺を見つめるような格好で眠っている。なにも妖怪だからといってそんな、寝方をしなくったって良いだろうに。天井にぴったりと背中をくっつけて、微塵も落ちてくる素振りのない塩吹きババアの姿に対して、恐怖以前に俺はそんな事を思った。そして、そんな事を考えられる程に、俺の思考回路が正常に近づいている事に気がついた。やはり一晩寝ると違う。
 まだ起きていない味噌舐め星人と、塩吹きババアを起さないように俺は台所に向かうと、蛇口を捻って百円ショップで買った安物のグラスに水を注いだ。寝ている間に蛇口に溜まったカルキの匂いが妙に鼻についたが、強烈な喉の渇きを何とかする事のほうが優先された。俺は喉を鳴らしてグラスの中の飲み乾すと、また蛇口を捻って水を注ぐ。そうして、三回も飲んだだろうか。何してるんですか、ちゃんと寝てないとだめですよと、味噌舐め星人が寝言で呟くまで、俺はそのカルキ臭く生温かい蛇口から出た水を飲み続けた。
「むぅ。お、おぉ、なんとか意識が戻ったようじゃなのう。心配したぞ」
 起き出すには時間が早く、熱の余韻はまだ残っていた。俺は大事をとって味噌舐め星人が引いてくれたと思われる、先ほどまで俺が寝ていた布団にもそもそと入り込んだ。すると、その音で頭上で眠る塩吹きババアが目を醒ましたらしく、天井に背中を引っ付けたまま俺に話しかけてきた。彼女の相手をしてやるよりは無視してそのまま寝た方が、有意義な時間を過ごせる気がしたが、常にマイペースな塩吹きババアは、俺が病気だと言う事も忘れたかのように、忙しく話しかけてきた。これでは寝ようにも五月蝿くて敵わない。
 観念して塩吹きババアの話を聞いていると、俺が眠っている間に起きたいろいろな事が分かった。一つ、俺は昨日の夜玄関先で倒れて意識を失ったと言う事。二つ、その倒れてしまった俺を、味噌舐め星人と塩吹きババアが、非力な力をなんとか振り絞って、今居る布団の上まで運んだという事。三つ、俺が倒れてすぐに店長から連絡があったらしく、味噌舐め星人が彼に、俺が病気で倒れた事を伝えてくれた、という事だった。俺が倒れてすぐにということは、おそらくまだバイト先への出勤時刻ではなかったはずだ。その時分ならば店長が俺以外の知り合いに、バイトの助っ人を頼む時間は充分にあったと考えられる。店長にできるかぎり早くバイトに出ると言った手前、病気なぞで倒れる訳にはいかないと思っていた俺としては、彼に自分もまた出勤できないという旨を早急に伝える事が出来たのは、せめてもの救いだった。
 そして四つ。倒れた後も、俺の熱はいっこうに下がらず、心配した味噌舐め星人と塩吹きババアが、つい今しがたまで頭の上のタオルの取替えやら、寝汗の拭き取りなどをつきっきりでしてくれていたという事だ。結果、疲れ果てて今は布団に沈み深く深く眠っている味噌舐め星人を見つめながら、俺は塩吹きババアの耳に入らないよう小さな声で、ありがとうとつぶやいた。