「徳利さんは、抜け目のない酒呑みだ」


 アルコールが入ったおかげで記憶は曖昧だが、確かまだ仕事の時間には早かったように思う。具体的には夕方六時半からで、携帯電話の時刻を確認すると今はまだ四時になったばかりだった。なのに、仕事の時間に遅れるとはどういう言い草だろう。そこの所を酒の勢いもあって少し強く店長に問い詰めると、すぐに彼の声に泣きが混じって本当の事を白状した。なるほど、やはり辞めてしまったかA子ちゃん。それが賢明な判断だろうと俺も思う。告白を断った上司が居る職場で、まともな仕事ができるとは思えない。なまじその上司が、些細な仕草を自分に気があると勝手に勘違いする、根本的にキモチが悪い童貞男だけに、今後も一緒に居れば何をしてくるか分かったものではない。勢い余ってストーカーにでもなられたら……、その恐怖たるや筆舌に値するだろう。と、正直に言ってしまうと流石に店長が可哀そうだが。
 ねぇ、頼むよ。お給料はいつもの倍払うからさ、すぐに店に来てくれよ。そんな事を言われても、こちらにも事情があってね。今の俺は、すぐにコンビニに行ける状況じゃないし、状態でもないんです。他の人を当たってくださいよ、シフトどおりにちゃんとバイトには行きますから。少し酒臭いかもしれませんがとは言わずに、俺は店長からの電話を切った。はたして浴びるようにしてしこたま飲んだのだ、バイトが始るまでの数時間で身体からアルコールが抜けきるとは到底思えないが、やるしかない。やってやるしかない。
 俺は終了十五分前にもかかわらず、びっしりと埋め尽くされていた塩吹きババアの予約曲リストを全て削除すると、現在進行形で彼女が歌っている歌さえも中止し、変わりに俺が知っていて、充分に歌うことができ、尚且つ激しくカロリーを消費しそうな歌を予約に入れた。お楽しみの所をいきなり邪魔された塩吹きババアは、すぐさま手を振り上げて俺に突っかかってきたが、俺は彼女を無視してマイクを握ると、メロディに合わせて大声で歌った。
それじゃそろそろ何か食べに行こうか。それと、悪いんだけれどもバイト先からさっき電話が入って、ちょっとシフトが早くなったんだ。なるべく早くバイト先に顔出してあげたいんで、できればバイト先の近くで済ませてくれないかな。あぁ、大丈夫です、全然構いませんよと徳利さんは嫌な顔一つせずにこやかに言った。それじゃぁ、どこが良いですかね、お兄さんのバイト先って言うとどこらへんですか。間違っても店に顔を出されたりすると店長の奴が発情して大事になりかねない。なので俺は、コンビニ近くの最寄り駅の名をあげて、その辺りで働いていると答えをぼかした。しかし、どうにもそれは俺の杞憂だったらしく、さしてぼかされたことを気にする様子も見せず、徳利さんは顎に手を当てそうですねあの辺なら、と考え始めた。
 あっ、そうだ、つぶれかけはどうですか。あそこだったら駅から歩いてすぐの所にありますよ。確かに、彼女の言うとおり居酒屋つぶれかけは店長が勝手に馴染みになれるくらいコンビニから近い。ただ、二日連続で食べに行くのは少し気が引けた。何食わぬ顔で突き出される冷凍食品の事を思っても気が引けた。なにより徳利さんがまた呑みやしないかと気が気でなかったが、残念ながらそこ以上にバイト先に向かうのに適した店を、思いつけなかった。