「塩吹きババアは四畳半のボロアパートで一人愛を歌う」


 それじゃ、お兄ちゃんさんお姉ちゃんさん、さようならです。そうそう、服はそのうちお兄ちゃんさんのアパートに届きますから、届いたら連絡くださいね。写メ送ってくださいね、それじゃぁ、また今度会いましょう。ミリンちゃんはそう言って俺たちに背を向けると、目の前のホームに止っている橙色の特急電車に乗り込んだ。JRとは違う私鉄の特急電車だった。俺たちと違いアイドルで金のあるミリンちゃんは、鈍行の電車になんて乗らない。朝乗ってきた電車と違いふかふかとした造りの座席を、指をくわえ食い入るように見つめる味噌舐め星人。私もこれに乗りたいですなんて味噌舐め星人が無茶を言い出す前に、俺は彼女の後襟を引っ張ると改札口に向かい、ミリンちゃんから貰ったお金で買った一駅分の切符を駅員に見せてそこから出た。
 そこから暫く歩いてJRの改札を潜り、俺たちの電車が来るホームへとあがると、既にそこには長い列が出来上がっていた。とても座席には座れないだろうと一目で俺には分かったし、実際に座る事は出来なかった。それでも立つ所がないほどではなく、席と扉を隔てる壁に俺たちがもたれかかれるスペースはなんとかあった。なので俺と味噌舐め星人は、進行方向から決して開く事のない電車右側の扉へ身体を預け、電車が都市に近いベットタウンを幾つか通り越して車内から何人か人が降りるまでの間を揺られて過ごした。よほどミリンちゃんとはしゃいだのが疲れたのか、味噌舐め星人は立っている時から眠たげに瞼を上下させていた。電車から人が空きはじめる頃には、すっかりと俺の肩にもたれかかって気持ちのいい寝息を立てていた。味噌舐め星人のなんとも安らかな寝顔は俺を気が気でさせなくした。俺は、ここが公共の場である事を意識することで、なんとか平静を維持すると、彼女を揺さぶってちょうど人が降りて空いた座席へと向かった。もっとも、席に着くなりすぐに味噌舐め星人は、再び心地良さそうな眠りに落ちてしまったが。
 降りる駅についた俺は味噌舐め星人を急いで揺さぶったが、彼女はピクリとも反応を返さなかった。丁度レム睡眠だったのだろう、深い眠りに落ち込んだ彼女を再びこの現実に呼び戻すのは困難だと判断した俺は、「蒲公英掬い」をポケットに突っ込むと、彼女を負ぶって電車から降りた。通り縋る人の目が妙に痛々しかったが、気にしない振りをして改札を出る。とっぷりと暗闇に暮れた市街地を、僅かな街頭を頼りにして俺は自分のアパートへと歩き始める。世界には、味噌舐め星人の小さな吐息と、俺の立てる足音だけしか存在していないような、そんな静かな時間だった、そんな静かな夜だった。
 味噌舐め星人が寝言で童謡を歌った。彼女がはたして意識してそれを歌ったのかどうかは分からないが、それはミリンちゃんが子供の頃一番好きな歌だった。何度も何度も、それはもう嫌になるほど、ミリンちゃんにせがまれて、俺が歌った歌だった。俺と味噌舐め星人が歌った歌だった。 
 アパートの部屋に入ると、なぜか塩吹きババアもその歌を歌っていた。覗き見かよ、趣味が悪いなと俺が言うと、彼女は笑ってなぜ泣いているのかと俺に問うた。途端、俺の瞳から涙が溢れかえった。怪しく笑う塩吹きババア。その顔が、なぜか俺の涙で霞む瞳には、味噌舐め星人の顔に酷く似て見えた。