「味噌舐め星人とミリンちゃんと砂糖女史の明度」


 私、こういった場所に疎いので良く分からないのですけれど、ここは、その、めいど……所謂世間で言うところの、メイド喫茶なんでしょうか。
 砂糖女史はそのスポーティッシュな髪型に反して酷くおっとりとした口調だった。それは、彼女が着ている純白のワンピースと茶色のブラウスが良く似合う、お嬢様然とした悠長な喋りっぷりだった。けれども、彼女の発言の内容は、その髪型にもその服装にも似合わない、その両方のイメージの中間にはおそらくその言葉に近いイメージが存在しないであろう、突拍子もなく想像のつかないものであった。ここはメイド喫茶ですか。砂糖女史はイメージの剥離に放心している俺に、心配そうな表情でもう一度声をかけた。
 どう見ても俺たちの居るここは普通の飲食店だった。店にはウェイトレスに混じってウェイターはいたし、制服は灰色と緑色を基調とした地味なもの、しかも男女共通のデザイン。メニューもぼったくりが基本であるその手の店と違って、財布に優しい良心価格、ライス単品から鉄板焼きステーキまで種類も豊富。それはもちろん、店に入れば店員達が元気に挨拶をしてくれるが、ここはメイド喫茶ではない。断じてメイド喫茶などという一般人が入るのに戸惑うような店ではなかった。なにより店の前には、全国展開を行っているフランチャイズの証である大きな看板が立っていたし、外装だってて街を歩けば必ず一つは見かける特徴的なものだった。抽象的な言い方をしても仕方ないのではっきり言おう。いらっしゃいませ、サイゼリアへようこそ。よく今考えれば、サイゼリヤは喫茶店じゃなく、ファミリーレストランだ。ならば尚更、どうしてこの目の前のおっとりとした女性は、そんな事を思ったのだろうか。どうしてサイゼリアメイド喫茶と勘違いしたのだろうか。
 どこをどう見たらここがメイド喫茶に見えるんだよと、俺は砂糖女史に問い詰めた。ちょっと怒った調子で問い詰めた。怒るつもりはなかったのだが、どちらかといえば呆れている部分の方が多かったのだが、なぜか気がつくと俺は彼女に怒鳴っていた。たぶん、彼女はそういう性質を持っているのだろう。え、その、私はこの街にメイド喫茶があると聞いて。あの、違うんですか。なるほど確かに女史の言うとおり、この街は、この商店街のある辺りは、二本でも一・二を争う電気街だった。そういった店も確かに商店街には多くあったし、ミリンちゃんのようなアイドルのイベントをするにはもってこいの場所でもあった。しかしながら、あくまでここは商店街である。そういう店も存在するというだけで、若者向けの服屋や雑貨屋もあったし、パチンコ屋やゲームセンターもあったし、名の知れた味噌カツ屋や屋台だってあった。
 なにも飲食店に入ったら全部が全部そういう店というわけじゃない。だいたいこの街にある最も有名なメイド喫茶は、PCパーツを売っているビルの地下にあるんだ。他の店だって、たいていビルの二階以上に間借りして出店している。こんな目立つ場所に、どんと門戸を構えてメイド喫茶なんてあるはずがない。あるわけがないだろう。と、俺は砂糖女史に言った。すると彼女は少し間をおいた後で柔和に笑うと、お詳しいんですねと俺に言った。
 べ、別に、お詳しくなんかないよ、普通だよ。思わぬ返事に言葉が濁った。
 それで、いったいぜんたいどうしてメイド喫茶の事なんか聞くんだい。もしかしてメイド喫茶に行きたいのかい。なんだったら連れてってあげるよ。照れ隠しとほんの冗談のつもりで俺は言ったのだが、どうやら砂糖女史は本気だったらしい。本気でメイド喫茶に行きたかったらしい。本当ですか、是非お願いしますと言って立ち上がると、砂糖女史はなぜか俺に握手を求めた。
 はたして、女連れでメイド喫茶に入る男がこの世にどれくらい居るのだろうか。おそらくはすき屋に入ってカレーを注文するくらい、そんな奴は少ないだろうと俺は思う。つまりだ、まぁ少なからずそんな奴は居るだろうが、確実にそいつは趣旨を吐き違えているという事だ。カレーが食いたいならCoCo壱番屋に行きなさい。女の子とデートしたいならお洒落な洋食屋さんに行きなさい。女の子を連れて女の子の居る場所に行くのは間違っている。
 メイド喫茶に連れて行けと俺に言った砂糖女史は、とてもそんな事を言い出すとは思えない態度で俺の後をついてきた。伏し目がちに黙って男の三歩後をついてくる、それは古きよき和の女性の姿だった。こんな女性が、何を思ったかメイド喫茶に行きたいと言い出すのだからこの世も末恐ろしい。
 それにしても、どうしてメイド喫茶になんて行きたいのだろうか。興味があるにしては、その足取りはとても落ち着いている。俯いた彼女の顔からはどこか悲壮感さえ感じられた。いったい、なぜ、彼女はメイド喫茶に行かなくてはいけないのだろう。俺がどれだけ頭を捻って考えても、そんな事は彼女に聞いてみないことには分からない。それは、今までの彼女や味噌舐め成人とののやりとりでいやと言うほど分かっていたのだけれど、俺はつい頭の中で色々な可能性を考えてしまった。もっとも、考えに考え抜いて導き出した答えは、結局はメイド喫茶に興味があるからに帰着してしまったのだが。
 あ、あっ、あぁっ。何してるんですか、どこ行くんですか。突然俺の背中の方で素っ頓狂な叫び声が上がった。それは、聞き飽きるほど聞きなれた、味噌舐め星人の声だった。振り返ると、大慌てといった表情で、人ごみをすり抜けてこちらに向かって走ってくる味噌舐め星人の姿が見えた。何故だか分からないが、一緒に居るはずのミリンちゃんの姿は見当たらなかった。味噌舐め星人は俺と砂糖女史の間に割り込むと、どうしてこの女の人と一緒に居るんですか、なんでですか、ねぇねぇ、どうしてですかと俺の肩を揺すって尋ねた。力いっぱい彼女は俺を揺さぶったので、そのまま喋ると舌を噛むだろうと判断した俺は、味噌舐め星人の頭に小気味よい音を立ててチョップを落として、まずは落ち着かせた。たまたま入った飲食店で相席になってね、行きたい所があるって言うから連れてってあげるとこなんだ。俺はやましいところなく洗いざらい素直にことの経緯を話した。しかしながら、何をそんなに気にしているのか、味噌舐め星人はどうにも怪しんだ表情で、本当に本当ですか、本当になにも変なことはないんですかと、俺をじとと睨みつけた。
 変なことってなんだよ、と言ったとき。味噌舐め星人の向こうで、砂糖女史があっと声をあげた。何かあったのかと思ってすぐにそちらに眼をやると、なぜかメイド服姿に身を包んだミリンちゃんが、俺たちの前に立っていた。
 ここが、メイド喫茶ですか。お兄ちゃんさん、それが言ってた婚約者ですか。やっぱり、二人はそういう仲なんですね。どれも違う。と、俺は言った。