「味噌舐め星人とクリームソーダ」

 俺が知らないだけでミリンちゃんと味噌舐め星人は知り合いだった。いやに親しい知り合いだった。姉妹に見えなくもない知り合いだった。実際の所、彼女達の間にあるお互いの認識は、姉妹という事で間違いないのだろう。
 どうやら俺は本当に本格的に記憶喪失らしい。味噌舐め星人はたしかに俺の妹で、ミリンちゃんはそれを知っていたし、そうだと思っているのだ。免許証と保険証は味噌舐め星人と俺が兄妹であることを法的に示しているのだ。縁者と第三者が口を揃えて俺の記憶にない事実を正しいと主張している。まことに残念ながら、まことに遺憾ながら、ついさっきの味噌舐め星人とミリンちゃんとの親しげなやり取りでそれは証明されてしまった。自分の身に起こった事をにわかに認めたくはない――味噌舐め星人が俺の妹であると言う事はこの際別にどうでも良い――が、俺は記憶を喪ってしまったらしい。
 お姉ちゃんさん、お姉ちゃんさん、よかったらこれからこの上のレストランでお茶でも飲んでいきませんか。よかったらご飯も食べましょう、久しぶりに姉妹水入らずでお昼ご飯を食べましょう、ねぇ、そうしましょうお姉ちゃんさん。ミリンちゃんは、俺の存在を一切無視して、味噌舐め星人を食事に誘った。いいですね、レストラン、美味しい味噌料理があると嬉しいです。
 かくして俺達はその衣料品店が散在するフロアを後にして、屋上のレストラン街へとやってきた。どれもこれも、俺がミリンちゃんと待ち合わせた、ファミリーレストランとは比べ物にならない、ちゃんとしたレストランだった。どこへ行っても定食は千五百円以上したし、どんな料理にもお吸い物か味噌汁かスープはついて来たし、お子様ランチだとかそういう子供向けの料理もなかった。やれやれ、ファミリーレストランより勝っている点といえば、客が少ないという事くらいだな。レストラン街で味噌カツ料理を専門に出す店に入った俺は、テーブルに座りメニューを見て心の中で密やかに呟いた。
 ねぇ、お姉ちゃんさんなにを食べます。今日は私のお給料でおごりますから、遠慮せずに好きなものを食べてくださいね。お兄ちゃんさんは、水でも飲んでてください。どうしても何か食べたいんでしたら、自分で頼んでくださいね。この近代文明においてそれは酷い男女差別だねと、足を踏みつけるに踏みつけられない小上がりだったのを良い事に、俺はミリンちゃんに普段の三割り増しに嫌味を言った。すると、ミリンちゃんは何の遠慮もなく膝を伸ばし、俺の脛を痛烈に蹴り上げてくれた。やれやれ、そんな心配しなくても、自分の分くらいは自分で払うさ。仕方なく俺が一番安い味噌カツ丼を頼むと、やっぱりお兄さんはケチですねと味噌舐め星人が笑った。お兄ちゃんさんはこんな時にケチケチしてるから、いつまでたっても甲斐性なしで駄目なんですとミリンちゃんも笑った。あげつらうでもなく嫌味を込めるでもなく純粋におかしそうに。ミリンちゃんのそんな笑顔は久しく見た覚えがない。なので。分かってないな。こんなビルの屋上にある料理屋なんてのは、そう美味しくないって相場が決まっているのに。ここで食うくらいなら、ちょっと歩いてすぐそこの商店街まで行き、全国区で有名な味噌カツ屋に行ったほうが良いのに。と、俺はにわかに思ったが、言うことは止めておいた。
 味噌カツ丼はそこそこ美味しかった。だが、やはり商店街前にある味噌カツ料理屋のとんかつと比べると、ボリュームも足りなかったし味付けも今ひとつだった。お箸に紙袋を結いつけた俺は、それで今日は一体全体どうしてこんな所に居たんだとミリンちゃんに聞いた。お仕事のない日は、普通に学校に行っているはずだろう。サボりは感心しないなと言うと、サボってなんかないです、とミリンちゃんは少し憤った表情で俺に言った。今日はこの後名古屋のアーケード街でイベントをやる予定なんです。暇で暇でしょうがなくて出てきたようなどっかの誰かさんと違って、遊びにここまで来た訳じゃありません。ミリンちゃんはそう言って、食後のデザートをお品書きから選び始めた。ふぅんお仕事ねぇ。最近めっきりと落ち目である本格魔法少女ミリンちゃん。昔だったら休憩時間も専属マネージャーがつきっきりで、こんな所を一人でぶらついてる時間なんてそうそうなかったはずなのにな。
 言うとミリンちゃんが俺の脛をまた蹴りそうなので止めておいた。だが、やはりミリンちゃんの人気低迷は深刻な所まで来ているようだ。俺としてはそのほうがミリンちゃんの方に良いと思うので、あえてどうこうしてやろうというつもりはない。若いうちから、世間にちやほやされて育っても、将来ろくなことにならない。現に今、実の兄を平気で足蹴にする、平気で小馬鹿にする、ろくでもない人間に育っているのだ。彼女にとっては良い薬だ。
 私はクリームソーダを頼みます。お姉ちゃんさんもクリームソーダで良いですよね。ミリンちゃんはいつになく上機嫌にそう言った。やはり俺に対しては勝手に頼めばと言うスタンスのミリンちゃんに、俺は少し腹が立った。なので、なんですかクリームソーダって、と味噌舐め星人は俺に聞いた時、クリームソーダってのは緑色した毒々しい飲み物だ、飲んだら死ぬぞと俺は嘘を味噌舐め星人に吹き込んでやった。すると、味噌舐め星人はすぐに震え上がって、デザートはこのアイスクリームと言う甘いお味噌が良いです、とミリンちゃんに言った。遠慮しなくって良いですよお姉ちゃん、クリームソーダなら、メロンソーダの上にアイスクリームも載ってるじゃないですか。お兄ちゃんさんみたいにケチケチしないで、クリームソーダを頼みましょう。
 味噌舐め星人が困った表情で俺を見てきた。ミリンちゃんはそう言ってますがと言いたげな表情だった。ミリンちゃんの事は知っているのに、彼女の好物であるクリームソーダの事を知らない。それは姉妹として、何か妙じゃないかなと、俺は思った。ミリンちゃんは昔から、レストランに入るたびにクリームソーダばかり頼む事で、ちょっと親族・身内の間では有名なのだ。もし本当に味噌舐め星人がミリンちゃんの事をよく知っているのなら、彼女の好物であるクリームソーダを知らないなんて事があるのだろうか。それを差し置いても、地球上に住む一般市民として、クリームソーダを知らないンなんて事があり得るのだろうか。味噌舐め星人は、本当に、俺の妹なのか。
 では、そういう事にして、クリームソーダを二つ頼むことにしましょう。ついでにコーヒーも頼んどいてくれと、手を挙げて店員を呼ぶミリンちゃんに俺は言った。一方で味噌舐め星人は、どうしましょうどうしましょう、味噌以外の物を飲んだり食べたりしたら、私死んでしまいます、私死んでしまいますよと狼狽した。別に死にはしないので、俺はだんまりを決め込んだ。