「味噌舐め星人の語弊」


 メニューの端には謎のセクションがあった。ご飯物、焼き物、煮物、刺身、揚げ物、一品料理、飲み物と来て、その他があった。そのくせ、セクションの中に書かれているメニューは一つで、しかもこういう居酒屋で飲むにはどうかと思う一品だった。五平餅、三百十五円。味噌舐め星人が嬉しそうに指差したメニューの端には、祭りの屋台で稀に見る食べ物の名が書かれていた。
 へぇ、五平餅らなんて珍しい、そんなものも扱ってるんらね、親父さん。相変わらず板前は店長のぼやきを無視した。俺に無視されようものならば、なんで無視するんだよ無視するなよとと、うざったらしく突っかかってくる店長だが、やはり何も言わなかった。よほど酔っているのかはたまたもう本当に慣れてしまったのか。彼は自分の言葉を無視した板前に何も言わずにお猪口をぐいと煽った。そして誰に酌をさせるでもなく、自分で酒を注いだ。
 テーブルに向き直って味付けの薄い鯖味噌をつつこうとした所、味噌舐め星人が不安そうな眼で俺を見ているのに気がついた。いつもの、俺に何かを求めるような眼を彼女はしていた。どうしたと俺が聞くと、どうやって注文すればいいのかわからない、と彼女は言う。そんなものは、手をあげて、すみません五平餅を作ってくださいと言えば良いよと俺は言ったが、けどけど、さっきからあの板前さん、前の人の言ってる事を無視していますよ、と正論を彼女は言った。なるほど、確かに、「居酒屋つぶれかけ」の板前は店長の言っている事を無視している。彼女が自分の注文を無視されるんじゃないかと思うのも仕方のないことだろう。けれどもあっちも仕事だ、必要以上のサービスはしないかもしれないが、必要最低限のことはしっかりやる。そんな妙な心配せんで良いから、手を挙げてすみませんこれくださいと言えばいいよ。俺は怯えている味噌舐め星人にそう言って、三杯目のビールに口をつけた。
 あの、あの、すみません、ちょっとよろしいですか。ちょっと、注文してもよろしいですか。味噌舐め星人は、俺がビールを口にしてから暫くして、恐る恐る板前に声をかけた。板前は、へいなんでしょうとも、ちょっとお待ちをとも何も言わず、ただ黙って味噌舐め星人を見つめなおした。まるで蛇に睨まれたかえるの様に固まった味噌舐め星人を肴にして、俺と醤油呑み星人は顔を見合わせつつ酒を喰らう。あのあの、あのあのあの、これ、これをお願いします、これが食べたいです。味噌舐め星人は、うろたえた感じにメニューを持ち上げると、その端を指差して搾り出すような声で言った。それじゃ、何が食いたいのか分からないだろ。俺と醤油呑み星人は、思わず声をあげて笑った。えっ、えっ、と、笑われた理由が分からない味噌舐め星人が俺たちを交互に見つめながら戸惑った表情を見せた。それがまたなんとも間抜けに思えて、俺と醤油呑み星人は酒を呑むのも忘れて大いに笑った。
 へい、わかりやした、ちょっと待っていただけますか。突然、店内に聞きなれない渋い声が響いた。板前の声だった。大笑いしていた俺たちも、突然の彼の発言に、興も、酔いも、意識も途端に醒めた。寡黙な彼でも喋るのか。俺はなんとも言えない妙な気持ちになった。それは味噌舐め星人も同じだったらしく、な、なら、ならなら、いいです、と酷く混乱した感じに言った。