「醤油呑み星人の横暴」


 醤油呑み星人は店長の誘いを受けた。彼女はちょっと待っててねと俺たちに言付けると、ダンボールの中のポケットティッシュを抱えて人ごみの中へと入っていった。そして、道行く人と少しでも眼が合おうものなら有無も言わさず、ポケットティッシュを押し付けた。しばらくして、醤油呑み星人は俺たちの所へと彼女は帰ってきた。彼女の手の中にはただの一つもポケットティッシュは残っていない。いいわよ、いきましょうか。彼女はポケットティッシュが入っていたダンボールを折りたたむと、同じように街頭でティッシュを配る女の子達に挨拶をして、彼女達の――まだ多くのポケットティッシュが残っている――ダンボールの上に蓋をするようにしてそれを置いた。
 実に手際がいいね、うちの店に欲しいくらいだよ。店長は醤油呑み星人にそんな微妙な褒め言葉をかけた。もちろんそんな風に言われてうれしい顔をするわけでもなく、醤油呑み星人は店長を無視した。これから、食べに連れて行ってくれる人を無視した。なるほど、どうにも醤油呑み星人というやつは計算高いらしい。店長の言葉の裏にある、下心を見抜いて彼女は食事に行く気になったのだろう。下心がある店長は、ちょっとくらいの横暴にも目をつぶるであろう、と。彼女を襲ったときにも感じたが、なんともしたたかな女だ。しかし、醤油舐め星人のような女を俺は嫌いじゃない。
 醤油呑み星人に無視された店長は、暫く唖然として動かなくなった。結局彼は情けなく笑って醤油呑み星人の仕打ちを誤魔化した。あぁ、そうだ、早くしないと予約の時間に間に合わないや。それじゃぁみんな、はぐれないで僕についてきてね。店長はそう言って、その予約を入れている店へと向かって歩き始めた。唐突だなと俺は思った。だいたいどの辺りにあるかくらい言ってもいいだろうに。どうにも店長は少し舞い上がっているらしい。やれやれなんとも頼りないなと思いつつも、俺は目を離すとふいとどこかに行ってしまいそうな、味噌舐め星人の手を引いて彼の背中を追った。もちろん、醤油呑み星人もしっかりとついてきた。道中、何度か彼女の腹の虫の鳴く音が俺の耳に入ったが、そのたびに俺は彼女の見たこともない苦労を勝手に思いやって、少し憂鬱な気分になった。続けざまに、なんの苦労も微塵も感じさせない、至極幸せそうな顔をした味噌舐め星人が、どんな料理があるんでしょうね、美味しい味噌料理はあるんでしょうか、なんて俺に向かって満面の笑みと共に言ったものだから、なんだか酷く申し訳がない気分になってしまった。
 いつの間にか俺たちは駅前の大通りから複雑な小道に迷い込んでいた。幸い、と言って良いのだろうか、その道に怪しげな店はなかったし、怪しげな人も居なかった。その代わり店も人も居なくって、道の脇に並んでいるのは高くてどこか古ぼけた色をしているコンクリートの塀と、だれそれと名前が彫られた表札ばかり。塀の向こうに見える建物はどれも精彩に欠き、薄暗い空間に積極的に溶け込もうとしているようだ。どうやら、俺たちは住宅街の中を歩いているらしい、それも随分と下町染みた地区を。ふいに、ついたよ、と、店長が俺たちに言った。そこには、家と家の間に伸びる細い路地裏と、電柱に立てかけられている「居酒屋つぶれかけ」と書かれた看板があった。