「超人Q」−3

「それで、どちらが私に用があるの? 私の『答え』を聞きたいのは誰? タワラチナツさん? それとも、はじめましての人?」
「僕です、僕が田原さんに頼んで連れてきてもらったんです」
 全裸の少女が僕へと視線を向けた。赤い宝石のような瞳が僕を見つめる。その奥を覗き込むと忽ち万華鏡の様に世界が回転して、たちまち天地がひっくりかえってしまいそうな瞳を彼女はしていた。今まで会ってきたどの占い師とも違う。僕は彼女のルビーのような瞳の置くに、得体の知れない強烈な存在感を感じとった。彼女はもしかすると本物なのかもしれない。
 全裸の少女は暫くそうして僕を見ていたが、しばらくすると思い出したかのような態度で急にキッチンへと向かった。そうして、どうやって作ったのかわからない真っ白のクッキーを皿に載せて戻ってきた。そのクッキーは本当に真っ白だった。少しの焦げ目も卵黄の黄色も無い、正真正銘に生地が真っ白のクッキーだった。「そういえば、お茶請けを出すのを忘れていました」。彼女はそう言って笑った。笑ってまた僕の顔をじっと眺め始めた。
 僕はまた気づくと彼女の瞳の奥を覗き込んでいた。くるくると世界が回っているような感じがする。或いは世界の本質は本来こんなものなのかもしれない。僕は彼女の瞳を覗き込むことで、彼女が見る世界の本質を間接的に覗いているのかもしれない。そうなると僕が見ている世界というのは全て虚像なのだろうか。僕は回転する世界でそんな事を思った。僕ははたして彼女の瞳を覗き込んでいるのか、彼女が僕の瞳を覗き込んでいるのか、その内に分からなくなってきた。これが彼女の予言の導き方なのだろうか。いや、『答え』の導き方なのだろうか。僕の世界は激しく揺れた。極細に分解されたいろいろなもので、僕の世界は天地から再構成されていくのだった。
「なるほど、分かりました。答えは出ましたよ」
 気がつくと彼女は目をつむっていた。そして、彼女はもう僕の顔を――より正確には瞳を覗き込むような事はしなかった。彼女は、微妙に視線を僕の口元辺りに向けて、彼女は淡々と僕に『答え』を話しはじめようとしていた。
「貴方の探し物、貴方の妹さん。まず、頭は」
「ま、待ってください。ちょっと待ってください。話がいきなり過ぎます。いえ、貴方の力を信じていないわけではないんです。僕は貴方のような占い師には会ったことが無い、けれど初めてだからと言ってその予言を信じないという訳ではないのです。それはさっきの出来事でりかいしました、貴方が『先生』と呼ばれているのも理解できました。その『答え』というのが、私の求めるより具体的な事象であることも分かりました。けれど、待ってください。それは今、ここで言われるのはちょっとまずいんです。その『答え』を言うのをどうかちょっと待ってくれませんか?」
「分かっています。いいです。タワラチナツさん、少し外に出ていてください。決して聞き耳を立てないでください。決して話を聞いてはいけません」
 どうして僕が田原さんにこの話を聞かれたくないという事が分かったのか。意外と不思議には思わなかった。彼女の様に不思議な瞳と力を持っている人間には、そのくらいの事簡単に察知できるのかもしれない。彼女の瞳の奥を覗いた僕は、単純にそう思った、いや、そう思えた。
 依頼人の田原千夏は酷く不満げな表情を浮かべて出て行くのを渋ったが、全裸の少女が強い態度で再度言うと、しぶしぶといった感じで椅子から立ち上がって、玄関へと続く細い廊下の途中にあるバスルームに入った。これでいいかしらという彼女の籠もった声が聞こえた。良いですよと全裸の少女は非常に低いトーンで言った。そのトーンではバスルームの田原さんに聞こえないように僕には思えたが、かえってそれでよかったのかもしれない。とにかく、これで僕の『答え』を田原さんが知る事は出来なくなった。
 全裸の少女は、これでよかったですかとでも言いたげににっこりと微笑んだ。そして彼女のカップに注がれた紅茶を飲み干すと、ふぅと悩ましげなため息をついて僕の口元あたりを覗き込んできた。僕はなんだか落ち着かなくって、彼女と同じように紅茶を飲むと悩ましげにため息をついた。ふぅ。
「貴方の妹。瑞樹は、頭と左腕と右足と膣と右乳首と右手の人差し指と左足の小指とがありません。それはある男たちに持ち去られたからです。男達の名前。山本山崇、古道建雄、比嘉耕太、錦司勝蔵、阿久井光春、です。彼らは妹の体を散々に弄んだ挙句、その体を切り分けた。貴方は妹の体を取り戻したい。古道建雄と比嘉耕太は既に殺した。左腕と、右足はもう取り返した。なんとしても取り返したい。特に膣は、すぐに取り戻したい。貴方は妹の体に欲情している。貴方は一刻も早く妹を復元してその中に入りたい。妹は死んでいる。妹は死んだのでもう妹ではない、そういうモノ。これが答え」
「……妹の体に変なことはしない。僕は純粋に妹を綺麗な体に戻してあげたいだけなんだ。悪いけど、最後の『答え』は間違っているよ」
「間違ってなどいない。貴方は心の中でその可能性を考えている。理性でそれを押し留めている。だから、貴方はそう思っても、そうし無い。随分と貴方は理性的な方ですね。もしかすると、まだ、童貞ですか?」
「その答えはわざわざ僕に聞かなくてももう分かってるんじゃないですか?」
「そんな下世話な答えを私は知りません。安心してください、私も処女です。いつか貴方に処女を捧げてあげても良いでしょう。思いのほか、貴方は私が出会ってきた海綿体の垂れている人の中では紳士です」
「それはどうも」
 僕はまた紅茶を飲んだ。ふぅとため息が出た。内心が穏やかなはずなどない。誰が、死んだ妹を犯そうと躍起になっているといわれて平静で居られるものか。そんな人がこの世に居るなら是非ともあわせて欲しいよ。やれやれ、そんな人物は佐藤友哉の小説くらいでしかお目にかかれないんじゃないかな。
佐藤友哉は好きです。私もいくらか読みました。純文学が面白いです」
「僕はもっぱら鏡家サーガですね。どうやらお互いに歪んでいるようで」
「お互いなのは歪んでいるだけではありませんよ」
 全裸の少女は初めてにっこりと満面の笑みを浮かべた。どういうことなのだろうかと僕は考えた。考えたけれど、僕たちの共通項として思い浮かぶのは、歪んでいることくらいだ。馬鹿の僕にはそれ以外に思い浮かべられない。
「ねぇ、もう良いかしら。いい加減、私も話しに混ぜて欲しいんだけど」
 田原さんの声が聞こえてきた。全裸の少女はそれ以上僕に『答え』を聞かせてくれそうになかったので、僕は「もういいよ」と田原さんに言った。