没落魔王、千里を駆ける(小走り)

 どちくしょう、こんなことがあっていいのか。いきなり城の天井をぶち破ってそいつは現れたかと思えば、妙な筒みたいなものでもって俺の肩を打ち抜きやがった。俺は訳の分からぬまま台座を転げ落ちてそいつの足元に頭をたれたのだ。こんなに屈辱的なことは、三千年生きてきたが一度だって味わったことなど無い。
「あらあら、魔王様ともあろうお方が意外と意気地なしですのね。ちょっと撃たれた位でそんな大げさに転がって」
 金色の髪を揺らしてそいつは俺の前に立っていた。俺を見下すその目は、実にサディスティックな鋭い目だ。俺の部下のモンスターにもこんな目をした女は何人かいるが、こいつに敵う奴はおそらく一人も居やしないだろう。天下の魔王軍が笑えてくる、いったいどこに隠れて嫌がったんだこんな奴。
「……なんだてめえ、勝手に人の城に土足で降ってきやがって。親にどういう躾を受けたんだ」
「そうですわね、少なくとも貴方よりはまともな教育を受けてきたつもりですわ」
 ぽっかりと穴の開いた天井から淡い月光が降り注ぐ、その間中に黒いドレスがぽっかりと穴を開けていた。どこまでも吸い込まれていきそうな黒、そして星のように輝く金色の髪。彼女はまるで宇宙の神秘のようにしてそこに存在していた。
 筒の先が俺の頭にあてがわれた。きっと先ほどのように何かがその先から飛び出して、俺を打ち抜くのだろう。ちょっとした矢や魔法程度ならなんとも無い俺だが、さっきのを喰らって無事でいる自信は無かった。きっとあんなものを頭に直接くらったら、俺の頭は吹き飛んでしまうに違いない。
 ふつふつと、俺の中にこの目の前に超然とたたずむ女に対する怒りがこみ上げてきた。なぜ俺がこんな小娘に傅かねばならないのだろうか。なぜ大魔王の俺がこんな小娘に力で屈服しなければならないのだろうか。すべてはその筒が原因だったが、今の俺にはその筒を奪い去る力も残っていない。まったく、なんて厄介な筒なんだろう、人類はこんな道具をいつの間に作ったのだろうか。俺がこの北の大地に広大な魔物たちの帝国を作っている間に、人間はいった何を得たというのだろうか。
「さて、魔王様、私こうみえてあまり時間がございませんの。もはやこうなってしまっては文句はありませんわよね、このお城私が頂きましてよ。よろしくて?」
「アホ言え、この阿婆擦れが。勇者ならまだ知らず、なんでてめえなんぞに俺様が手塩に築いたこの城を、くれてやらなくちゃならねえんだ。寝言は寝て言え、てめえなんざその筒が無けりゃなにも出来ねえ小娘の癖に」
「あら、魔王様、それが貴方の最後の遺言かしら? 凄いわね、とってもそれって魔王らしいわ。最後の時まで魔王らしくなくっちゃね、それじゃさよなら、バイバイ」
 俺の頭の中に何かが割り入って来た、何かがぐちゃぐちゃに俺の頭をかき回して、思考回路が一瞬にして麻痺した。俺の中で散々に暴れまわったそいつは、どうやら後頭部から突き抜けて外に出ていってくれたようだが、そのときには俺はありとあらゆる感覚を剥奪されて、俺は城の石畳の上に崩れ落ちていた。最後まで残った聴覚が、俺の異変に気づいてやってきた親衛隊たちの怒鳴り声と、俺を殺した超然の娘の声をかろうじて拾う。
「聞け、魔王は今ここに死にましたわ!! 今日から貴方達のボスはこの私、八幡宮らん子よ!! おーっほっほっほ!!」
 死んでなんかいないさ、俺はそう思って再生へのプロセスを開始した。暗闇に淀んだ意識の中で、体の中を俺の魔法が駆け巡っていくのを感じながら俺の意識は落ちていった。魔王がそんな簡単に死んでたまるものか、まだお前が何者かも分からないというのに。

 ふたたび俺が目を覚ますとそこは俺が今まで見たことも聞いたこともおよそ想像したことも無いような土地の上だった。俺は荒廃した浅黒い大地の上にすっぽんぽんで突っ伏して倒れていた。俺が死ぬと同時に、誰かが俺の服を脱がしたであろうことは明白だった。相手は決まっている。勇者だってこんな身ぐるみを穿く様なことはしないだろう、あの女は相当のけちか相当に変な趣味があるようだった。
 俺は見たことも無い土地に捨てられて、まったくどっちへ行っていいか分からなくなり、しばらくフルチンで仁王立ちで辺りを見回していた。紅に大地が沈んだのを見て、ようやく方角が分かった時、俺は再び俺の城へ戻るべく、北に向かってかけ始めていた。月明かりの下、俺は北に向かってかけていた。夜は俺の姿を隠すことなく、星と月が俺の股間をてらてらと艶かしく輝かせた。
 きっとここから俺の城はそう遠くないはずだ。魔王一人運ぶのにかかる労力は計り知れない、そんなに遠い所まで運べるはずがないのだ。だから、きっと、一時間も、二時間も走れば、すぐに俺の城が見えてくるはずだ。あの金髪で黒装束の女に奪われた、俺の城が。
 けれども走れど走れどいっこうに城は見えてこなかった。周りの景色も一向に変わらなかった。加えて、俺は久しぶりに走ったりしたものだから、すぐに息があがってしまって、五分と走らないうちに地面にへたり込んで肩で息をしていた。そして思った、この格好で城まで戻るのは無理だと。どこで誰が見てるか分かったものじゃない。
 どこかで服を買おう。そう思ったのだけれど、生憎辺りはまだ浅黒い地面以外には何も無い、まっ平らな荒野だった。
 しかたないので俺は両手で股間を隠しながら、小走りにどこかにある服屋へと向かった。小走りに小走りに服屋へと向かった。けれども千里かけても服屋は現れず、こんな寂れた土地に住み着く人間なんて居ないのだろうなと、俺はまた千里を小走りで駆ける決意をするのだった。