ソーダに沈んだ僕の世界 その0


 というのを書こうと思ったけど、テストで忙しいのでやっぱりやめた。
 どうせまたメンヘラの書いたものだで片付けられるか、面白くないで片付けられるか、やっぱりお前の文章はくどいで片付けられるか、はたまた見向きもしないか、のどれかだから。誰も俺の文章なんて読んじゃいないし、読んでもくれないし、共感もしてくれないし、俺には魅力なんてないし。小説家なんてのは、魅力のあるモデルマンにでもやらせれば良いんですよ。生きていることに対して疑念を持っている人間の話なんて読まない。というよりも、それが自分のアイデンティティーを阻害させて、個をあやふやな世界に埋没させることで守っている人種には小説家にはなれないんですよ。ただ、誰にも守られないで生きるわけではない。巧妙に、まるで宗教の教祖のようにして、読者達を虜にして自分の生き方を外へ飛ばす増幅装置に変えた人間だけが小説家として生きていけるんだと思う。他はまぁ、よくて同人とか、細々と誰にも見せずに書くとか。ネットは駄目、バイアスにコミュニティという要素が絡まって更に最悪な環境になってるから。俺の様な駄目な人間をはじくような自浄作用を持ち合わせているから真っ先に淘汰されていく。お前の文章が悪いだけって言うそれがそもそもの自浄作用。コミニケーション能力が無い人間に対してどこまでも残酷になれて、コンテンツに対しての敬意がまったく払われていない。俺もその一つであるからあんまり強くはいえないけど。それでも、ネットは駄目だ。ネットは駄目だ。ネットはもはや完全にメディアに掌握されて、大衆の中に隠れた独裁者に占領されて、個人の力が余りに無力すぎる。あるいは個人の力が、コミュニティ性が強すぎて、コンテンツだけが独立して歩行していく素養なんてのがまったくもって用意されていない。用意されているように見えて、それは一部の隔たった場所に過ぎず、ネット自体がそれを完全な形では持ち合わせていないのがそもそもの問題なのだ。要は、全てのコンテンツがニコニコ動画のランキング動画の様な側面を持ち合わせていなければならないのだがネットにはそれが無く、現実社会と同じ本人の資質不足という形でいつまでも放置され続けているように私には思える。