私と彼らのデットヒート〜僕の指定席〜


 長く生きてきたのだがこのデットヒートに対する苦痛を和らげる方法を僕は知らないんだ。だから苦しいんだ。
 自分が足りというものが嫌われるというのは色んな所で経験しているが、それでも話さなければ死んでしまうのだから話させてくれ。あるいは僕はメンヘラで、世間一般的に言われる負け犬で、この言葉には一銭の価値も無くて、この世界で沸き起こっている多くの断末魔の一つに過ぎないのかもしれない。それでも、もう僕には叫ぶことしか出来ない。デットヒートだ。それはたった一人と世界を相手に行われる、勝ち目の無いデットヒートなのだ。
 まずはじめに僕についての理解から入らなければいけない。別に理解することなんて何も無いのかもしれないが、そこから入らなければきっと分からないだろうし、そこから入ったとしても分からないだろうと思う。あるいは入って欲しくないのだが、あるいは入って欲しい。いいだろうさ、まずは僕のことから話そう。
 僕は22年前の1986年に産まれた。幸か不幸か長男として生を受けたが、僕を産む前に母は一度流産を経験していた。母はその人の事を僕の姉だと言って聞かせた。姉だったかどうかは分からないが、それでも時々思い出しては彼女に手を合わせるような、そんな人間性を子供の頃から僕は植え付けられていたし、そう思うことに別に何の疑問も思い浮かばなかった。そうして母の手を引かれて、宗教団体の施設によく遊びにいった。けど、別にそれは僕の本質とは関係ない。どちらかといえば、僕の本質はそういう物事に対しての反応という部分に潜んでいた。
 そう特に何も思わない、何か僕には人間らしさみたいなものがかけていた気がする。あるいは純粋、いや、純粋というよりは愚かだった。愚かを煮詰めて大人になった、そんな気がする。とにかく愚かだった。周りの人間にすぐからかわれたし、すぐに相手の挑発にのった。そして、その挑発を自分で解決する方法を何一つとして持たなかった。いつも周りの誰かに助けを求めた。それが一番の解決方法だと信じて生きてきたのだ。やはり愚かだった。
 何が愚かかは分かっている。そこには自分の中にある暴力を否定する臆病な自分が潜んでいた。世の中でいわれている暴力が悪であると言う暴力の矛盾にまんまと騙された。暴力は悪でもなんでもない、人は暴力に理由をつけて正当化するただそれだけのことに気づかなかった。そして、気づいた時にはもう僕は暴力を震えない人間になっていた。
 あるいは僕は僕の中にある暴力性を発露させようとしていた。からかわれて泣いて家に帰ったあの日、そいつの家に押し入って包丁で胸を突いてやろうかと考えたこともあった。あいつを殺して俺も死ぬが僕の少年時代の全てだったように思える。ドラえもんじゃないんだ、のび太じゃないんだ。けど、今になって思えば、それは僕がやっぱりしておくべきことだったんじゃないかなと思う。例えそれが間違っていたことだとしても、そこで暴力を使いこなす術を身に着けるべきだったのかもしれない。けれど、その暴力に飲まれて僕という人間が致命的に駄目になっていた可能性もあるから、これはなんともいえない。一ついえることは、短絡的な暴力、すなわち殺人なんて行為にはやはり意味はないということだ。あるとするなら、それは空手だとか柔道だとかボクシング。力をコントロールする所にあるのだと思う、そうすると僕は自分をコントロールすることを子供のころから諦めていた。そうして大人になった。
 諦めていたが、希望は持っていた。いつかは自分の体を自由に使いこなせる日がきっとくる。けれどもそれを待つのは辛かった。ちっとも自分の体は自分の思い通りにはならないし、なってはいかなかった。あるいは中学時代に一時期近づいたが、それも高校に入るとまた離れていった。いつになったらコントロールできるようになるのだろうか、いつになったら僕はまともな人間になれるのだろうか。
 まともな人間と自分を思えない人間の辛さが分かるだろうか。常に周りから否定されている、その感覚が分かるだろうか。もちろん僕は半面は気分やだったので、学校という守られた世界の中では、あるいはある程度自由に体を動かせる世界では上手くやっていけた。けれども、それもバイトや部活という違う世界との接点でつまづいた。僕は、周りの人間の誰よりも愚鈍で、情けなかった。自分より年下の人間達が、僕を面白いように罠に嵌めるのを止める方法を知らなかった。ただただ縮こまりめぇと悲しげに泣くことで、羊飼いのように優しい誰かが。少なくともまともな人間が助けに来てくれるのを待つしかなかった。
 変えようと思って僕はプログラミングコンテストに参加した。予選を通過した時、嬉しかった。僕は、もしかするとこのまままともな人間としてやっていけるのかもしれないとおもった。けれどこれも失敗した。僕は、まともな人間になりたくてもう一度プログラミングコンテストに応募した。予選を通過した時、ざまぁみろと思った。やっぱり僕はまともな人間なのかも知れないと思った。けれども、今度はもっと悲惨だった。お前はおかしい、何かが狂っている、間違っていると指導教官に言われた。それを聞かなかった、聞きたくなかった、聞くだけの余裕が僕には無かった。僕は間違っていないと思いたかった。けれど、やっぱり間違っていて、僕は二回目のプログラミングコンテストにも失敗したのだ。
 このときに気づいておかなければいけないことがあったのを、僕は今なんとか気づいた。こんな僕を、まともでもない僕を、人間として認めてくれる人たちが周りには少なからず居たことに僕は気づいた、けれどそのときの僕は気づかなかった。思うに、人間は小さな閉じられた世界で生きていたほうが幸せなものなのだと思う。井の中の蛙大海を知らずは、世間知らずの意ではなく、ある種の幸せの喩えなのかもしれない。人は、そうすることで幸せに生きられるなら、そうするべきなのだ。と、僕は最近思う。
 大きな世界に出た時デットヒートは始まるのだ。決して勝てるはずの無いデットヒートが。
 僕はそのデットヒートに対するトラウマを抱え込んで、もう二年間走れなくなってしまった。あるいは走ろうと無理に頑張った。けれども、どこではしっても結果は同じだった。世界は大きかったし、僕は誰かを呪って走ることしかそこで出来なかった。そんな自分がいやだなぁと思ったが、それでも負けるのはいやだったし、もうトラウマを抱え込みたくなかった。デットヒートを繰り返すたびに、僕の体中に刻まれたトラウマは、傷口を広げて僕にブレーキをかけるのだ。
 周りの人間はそんなものへとも思わず走っているように僕には思えた。まるで世界を自分の手の中で転がしているようだった。あるいは転がして居ないのかもしれない、身を任せているのかもしれないが、僕にはそんなデットヒートは無理だった。そんな風には走れないし、怖くてもう走れないのだった。そして、また僕は呪われたデットヒートを繰り返す。
 デットヒートの醍醐味は周りからの声と、追いかける背中、追い越していくものだ。僕と一緒に走っていた彼らは、随分と遠くまで行ってしまってもう見えなくなってしまっていた。後ろからやってきた彼らは、僕に酷い言葉をかけて通り過ぎ去っていった。大好きだった彼は言ったよ僕に、「お前なんて、僕より弱いじゃないか」。二番目に好きだった彼には、僕はまるっきり力で勝てなかったよ、パンチ一発がゴリラのように重たく感じられた。僕の中で、暴力はもう振るわれるだけのものになってしまっていた、一方的に世界から与えられる雨の様なもので、そこには僕が行使する権利も知識も微塵たりともありはしなくなっていたのだ。とにかく、そんなわけで、僕のデットヒートは更に速度を速めた。けれどもそれは、世界が回るスピードと比べればとてつもなく遅かった。
 高校に入って僕のデットヒートは一段落下かに見えた。僕は受験というデットヒートを推薦という楽な方法でクリアした。これも僕という存在の自信に深い傷をのちのち与えた。僕は自傷行為をすることによって、引きこもりになる権利を得たようにして学校に入ったのかもしれない。それはどのように考えても傷でしかなかった。それでも、この高校はいいところだった。本当にいいところだった。
 周りは別に僕に対してデットヒートを強要しては来なかった。だから、僕はその学校で比較的に楽に生きられた。けれども、根本的なところでデットヒートに対する危機感を僕はひしひしと感じていた。だからプロコンに出た。デットヒートの中に再び身をおいて、そしてまた何も得られずに僕は帰ってきた。僕の前の彼らと、後ろの彼らは出て何かを持って返ってきた。それは幾ら平静を装っても到底僕の中の平穏を乱さないわけにはいかない事実だった。そして、僕にとってデットヒートできない時代がやってきた。僕はもう、デットヒートする権利を奪われて、負け犬という家畜に成り下がった。僕にはもうまっとうな人間になって世の中に出て行くチャンスというものをすっかり失われてしまった。今になって思うが、それこそ間宮中尉の身にかかかった呪いの様なものが僕と僕の視界に移る全てにかかっているようだった。そんな中で、僕の前を通っていく彼らだけが、可能性と人間としての尊厳に照らされて居る様だった。
 彼らのことがまぶしかったから僕は二年間休んだのか。たぶん、違う。まだなんとか彼らと同じようにまぶしくなりたくて、僕はまだ自分でもできるデットヒートをしようと思った。けれども、それをするのに手間取り、疲れ、挙句叱られ、不幸が重なり、それが重荷となって、僕はデットヒートできなくなった。デットヒートする場所を求めて、僕は三重から北海道へと旅立った。ちょうど二年前の今日あたりの話だ。僕はこのとき京都にいて、今度こそ人間になるんだとまぶしい妹に向かって言った。そして、僕は結局また人間になることが出来ず、暗い部屋の中に引きこもってしまったのだった。それでも僕はまたデットヒートを繰り返すのだが、それについてはあまり語りたくない。そのデットヒートは、僕の人生の中で最も覚悟を必要としたデットヒートであり、最後だと思ったデットヒートだった。小説を書くことよりももっと簡単で、もっと魅力的なデットヒートだったが、やはりそこでも僕は失敗した。僕はもう、何一つとしてこの世界で勝つことの出来ない愚かな存在だった。今もそんな存在なのだ、そしてそれはそのデットヒートで証明されたのだ。周りの人間達が次々に認められていく中、何をやっても認めてもらえない孤独が僕の中を占めていった。ブログを書いていたときよりも悲惨だった様に思える。こんな思いをするくらいなら、いっそやらなければよかったと思うかといえば、ノーだ。やりたいと今でも思っているし、機会があればやる。しかし、その世界が僕にデットヒートを求めていないことをもう知ってしまった。もう僕は世界の誰からも必要とされていないし、世界の誰かに必要だと思わせられないし、世界の誰かに俺が必要なんだと強請ることも出来ないのだ。もう僕には、なんのデットヒートの残されていない。あるいはそこから僕を抜いていった、置いていった彼らを追い抜いて、あざ笑う権利さえ奪われてしまった。僕にとって彼らを嘲笑することは、生きることと同義だった。彼らをいつか、人間になった僕が追い越すのが、僕の人生だった。僕の人生からはそれはもう永遠に失われてしまったかのように思えた。いや、今も思っている。
 僕が今こうして書いているという事実も、結局の所そんな欲求なのだ。そんな欲求で書かれた物にはたして価値があるとは思えない。けれども、もうデットヒートをするのに綺麗にルールを守るのはやめた。僕は、もうデットヒートのために、人を殺す覚悟を決めたのだと言っていい。デットヒートは必ず誰かを殺して前に進み出なくてはいけない。でなければ、デットではないのだろう。だから、僕の中に眠っていた暴力性を目覚めさせなくてはいけないし、考えなくてはいけない。踏み潰した人間を二度と再起させない痛めつけ方を考えなくてはいけない。僕はもうこれ以上誰にも負けるわけにはいかない、あるいは負けても良いが、どこかで勝つために何かを守って走り続けなくてはいけない。もう手段を僕は選ばない、この文章の価値など知らぬ。ただ、僕の心が欲するままのデットヒートをする。涎をたらしてズボンをずりおろして呼吸も目も定かではない走り方で、僕はデットヒートをするのだ。死ぬのだ、人を殺すために自分を殺し、僕は殺人に対する、相手を押しのけることに対する正当な理由を得るつもりなのだ。もう、誰にも僕のことを笑わせるつもりもないし、笑われても止まるつもりは無い、そのくらいで勝ち取るしかないのだ。やはり僕は甘えているのか、甘えているといえば甘えているだろう、けれどももう良いだろう、そんなことはどうだって、勝つと決めたのならば勝つがいいさ。そのために僕達は暴力と知識を持っている。それがこの世界で僕達に許されている、暴力のまっとうな唯一の使い方、生き方だ。
 僕は勝つよ。なんとしても勝つよ、どうやっても勝つよ。このデットヒートを生き抜いてみせる。僕の前を行く人間達は僕より強いかもしれない。けれども、僕には一つだけデットヒートを生き抜くために必要なものが備わっている。不屈の精神だ、僕はまだ戦えるぞ、僕はまだ喰らいつけるぞ、僕はまだチャンスがあれば牙を立てる。絶対に引きずり降ろしてやる。お前達に、土の味を、味わせてやる。
 デットヒートは死ぬまで続く。いつまでもどこまでも。僕はおそらく死なない、恐らくはそういうように出来ている。じわりじわりとお前達の背後に近づいて、いつかその背をたたいてやる。どん底に突き落としてやる。それが、俺をあざ笑った代償だ。そしてもう二度とは立ち上がれない傷を負わせてやる。お前達が俺を見捨てたように、俺はお前達を見捨ててやる日を夢見て、走り続ける。僕のデットヒートは今始まったのか、いつ始まったのか分からない、ただ死ぬまで終わらないのだ。