ぐだぐだしたのを書きたい


 やまもなければ意味もなく落ちもなければやおいでもない。本当にどうしようもない話を唐突に書きたくなる。例えば、その終わりに明確な目標を定めず、ただひたすら過程だけがだらだらと続くようなそんな話。
 なんというか疲れているときには、そういうおばちゃんの世間話みたいな話を書きたいし読みたくなってくるのだ。ストーリーを追うような力なんて残っていない私は、ただ笑いだけを純粋にそこに求めているのかもしれないし、単にストーリーを理解し構築する力が最初から抜け落ちているからかもしれない。
 そういうものって果たして世間に対して受け入れらるのだろうか。少なくとも俺が書きたいのは可憐な美少女が出てくる話よりは、もっとこうマッチョ寄りだ。それこそ、筋肉質の先輩達が主人公を引き連れて、学校の更衣室を荒らしまわるようなそんな話。
 実の所美少女ゲームをやっても、嫁にしたいと思うほどの女性にめぐり合うことはそうそうない。よくて性欲の対象としてか見れないあたりに、僕の中にあるある種の醜い部分が現れているのだが。それでも何人か現れるこんな子が良いなというイメージは、ことごとく強い女性であることが多い。それこと男性的な部分を多く持ち合わせていて、もしこんな女の子と一緒になったら、四十過ぎたら地獄が待ってるんじゃないのかと、嫌な妄想をしたりする。まぁ一緒になれる機会なんてまずないのだが。
 ロリコンかマザコンかときかれれば、俺はまず間違いなくマザコンだろう。どこかの本で読んだが、マザコンよりロリコンのほうが良い、父性がある、とのことだ。まったくその通りで、女性になんら与えることなく与えられることを望むようでは、男としてどうかと思う。
 とどのつまり、俺の根底には女の子に寄りかかられるのは嫌というものがあるのだ。自己の中にある父性の否定ともいえる。そして、女の子に時間を裂くよりは、男どうしで馬鹿してるほうが楽しいという考えがあるのかもしれない。それが僕が数ある美少女ゲーのヒロインの中で、男勝りの女の子を好きになる理由で、陵辱系のゲームをこよなく愛する理由なのかもしれない。
 歪んだ父性は、責任を放棄することでしか僕の中で顕在できないのだ。この点から、僕は自分のことを重度のロリコンだとも認識しているのだ。
 ザリガニを取って水槽の中で腐らせるような、そんな精神構造が問題なのだ、結局の所。ザリガニを飼うよりは、逞しく野生に生きる猫に、私はパンの耳をあげたい。


 なんでこんなはなしになった?