そう、これじゃまるで妹が思ってるみたいだ


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 調子ぶっこいて言ったコメントですが。妹のくだりは、専門学校で聞いてきた話だったと思う。
 妹の引越しの手伝いだったかに行った時。ぽつりと、「すごいなぁ、あと何年かしたらデザイナーの○○先生ってなるかもしれんのや」と言ったら「いや、それってあんまり良くないんやって。デザイン(たぶん企業に属してのデザイン。大規模展開の)って個人プレイではできやんから、そういう一人の力が強くなるような状態になると、みんなで仕事ができんくなるんさ。せやから、下手に名前をあげるとよくないんやって」って言われたのよ、たしか。で、この話にどこか似てるなーと思って書いたんだけど、なんかこれだと妹がデザイナーの偉い人みたい。うそうそ、最近就職したばかりのぺーぺーで何も分からん奴とです。けど気立ても良く本当に優しい子なので、もし知ってる人が居たら大切にしてやってください。まず居ないとはおもいますけれど。
 まぁ私としてこの言葉は、人と孤立する力ならそんなものは持たないほうが良いのかもしれない、と解釈してます。もちろん、私個人は孤立するために今までプログラムをやってきて、この強大な社会に対して自我を埋没させまいとあがいてきたのだけれど。この二年間の色々な出来事を振り返ると、我を貫くということは辛いとか苦しいとかを通り越してやっちゃいけないことなんじゃないかなと思うようになったわけですよ。もちろん人間には譲れない一線と言うものがあってもいいわけですが、譲れるべきところは譲るのもまた美徳かなぁと。
 それなら、そこはそうそう君の言うとおりみたいなコメントを入れるべきなのだけれど。やっぱり私はまだまだ自分を殺すことのできない人間なのですよ。言ってることは凄く分かるし、そう思うことも良く分かるけど、結局彼らも君と同じで、そうだねって言ってくれる人が欲しいんじゃないのかなって。そうやってそうだねって言ってくれるだけで、人間って凄く安心できるし、他人を愛せるようになるんじゃないかなぁ、と。
 そして、結論としては言っていることは正しいにたどり着くわけだ。たぶんそういう性格なんだよ。めんどくさいね。こういう自己主張する性格は治していかんと絶対に世の中で孤立するぜ。社会にも属さず、彼らの世界にも属さす、私は私だけに属していったいどうやって生きていくのだろうか。生きれるのだろうか。


 答えは無理、だ。