人の味覚のほとんどは嗅覚


 所属する研究室でききポテトチップス大会を開催。自信満々でチャレンジするも結果は最下位。しかも、確実に当てれる二個のうち一個を外す。超恥ずかしい。
 そもそも野球チップスの中身がカルビーうすしおと一緒だという事に気づかなかったりだとか、味覚が明らかにずれていただとか、敗因は我ながら分かっている。分かっていながらも、周りの皆の思慮深さに脱帽するしかない。あぁ、やっぱり私はロジック面で彼らに劣っているのだなぁと痛感。
 これから上手くやっていけるのだろうか。もうすぐあの日が近づいてくる。私はまた逃げ出すんじゃないだろうか。また自転車に乗って今度は沖縄を目指しているんじゃないだろうか。
 大丈夫だ、もう逃げるあては無いんだ。やるしかないんだ。これを乗り切ったら、私は生きていける。逆に乗り切れなければそのとき私は死ぬしかないのかもしれない。あるいは、今度もまたそう思ってやってきた全ての物事のように、私は怠惰に身を任せて死ななければいけない状況に陥っているかもしれない。
 逃げてはいけない。しかし、逃げれることからは逃げたい。逃げたいと思うことは罪だろうか、おそらく罪だが、逃げてはいけないと思い続けて生きることしかできない人間は一生罪の意識を背負って生きていかなければならないのか。誰か優しい英雄は現れないのだろうか、逃げなさい、やりなさい、無責任に私達を叱咤しそれでも好めるスーパースターの登場を。
 つまるところ僕がアイドルを何故か好きになれないのはそこなのだ。彼らは私達の理想の先を生きる人間であり、私達の行き着かなければいけない到達地点に見えるのだろう。あるいは違うのかもしれないが、それでも、スーパースターは今この世には居ない。あるいは居る、宗教の教祖達は今日も誰かをその言葉で救うのだ。素晴らしいことじゃないか。彼らを讃えることを誰も否定することはできない。彼らは自分達の作り出したシステムで人を救済している。その過程として誰かを不幸にするという、だが、もし貴方がそれを指摘することで、教団の中に不幸を呼び込んだとしたら、その時貴方は彼らと同じ行為を行っている。
 すなわち、宗教の否定はエゴだ。違う、それは宗教ではない、人は組織に所属することで、システムに加担することで、エゴと言う力に方向性を持たせ、破壊へと突き進める理由を得るのだ。そしてそれはなんら悪いことではないのだろう。それを否定するには、明白な組織によるエゴが必要だからだ。だから人類がもし真に一つになるためには、人類以外の敵が必要なのだと、私はかれこれ五年位前から考えている。
 またよく分からなくなってきたが、結局の所私の頭の中は常にこんなかんじなのだ。これでは、まともに物事を考えられるはずがない。全ていつかの自分が出した結論をつなぎ合わせてループさせているただそれだけの愚かな存在なのだ。きっと私は。