で、結局お前は規制賛成か規制反対かどっちなん?


 規制反対ですね。上記のはあくまで何事でも規制で解決しようという風潮に対して皮肉であって、規制反対の論拠は別の所にあります。そも、私は色んな所で文章書いてきて、へたくそ極まりないにしても自由に自由なものを自分が面白いと思ったとおりに書いてきたつもりです。もちろんそこには他者に対して譲り胸を貸す部分、それはもう上でしつこく言った「皆で仲良く」なんていう精神は微塵たりともない、独裁的且つ独断的且つ独りよがりの自慰臭い代物ですけれど、まぁぐだぐだ文句を言われながらも認めてくださった方も少なからず(本当に少ないけど)何人か居た訳でして、風当たりを優しくとは言わんけど(言いたいけど)、そういう自分が面白いと思ったものを恐れずに出していける場所っていうのは大切かなぁと思ってるんです。
 要は創作の自由ですね。私は基本的に、作者が描きたいと思ったらなんでもいいと、なんでも許されるべきだと思ってます、評価されるかは別として。それがレ○プだろーが、ロリロリショタショタのぺドリータな作品だろうが、五十路女の脱糞ショーだろうが、サブと兄貴の抜いたり挿したりとか(ん? サブが兄貴か?)、猫だろうが犬だろうが馬だろうがカバだろうがおめでとうございます馬鹿ラーメンでございますだろうが、とにかくなんでも。そこに現実的な問題を絡めない限りは、フィクションでやってる分には、それは許されるべきだと。
 根本的に私の中では、現実世界で満たされないものがぽろっとこぼれだしたものが創作なんです。いや実際にはね、そうじゃないですよ、そんなものは基本が出来てる人間がいうべき言葉だってことは分かっています。創作って言うものには根底に技術と言うものがあって、その技術を使って作り上げる一種の工芸品なんだと。けどま、私はそういうの嫌いです、そして私が嫌いなだけです、けど言います。あくまで最初にあるのは気持ちで、その気持ちが歪な形になって出てくるならそれはそれと、むしろ技術なんてものはどうでもいいんだと。
 だから、その最初にある気持ちを取り除くようなそんな規制は悪だと、そういう風に私は胸を張って言います。いや、張るほどの胸は無いんですけどね。どうでもいいですかそうですか。
 とかく、文壇で認められないなら、ほれどうだネットがある。HP、ブログ、某掲示板、携帯サイト、まだまだいろんなことろに出すことが出来るじゃないか。もちろん、出すだけじゃ納得できないのは自分が良く知っている、読んでくれる人が居て初めて納得できるもんだってことは痛いくらいに知っている。けど、そのことはいったん置いておいて、こういうところがあるって言うのは素敵な事なんじゃないのかって、違う話がずれた。
 つまりね、こういう風に創作が認められる土壌は必要なんだよ。このさい、それが正しいか間違っているかは置いておいて、とにかく清濁併せ持った何かをぽんと置いて置ける場所は。もちろんそこに濁を落として散々に罵倒されて、もう書けない私には才能無いんだ。「やっと気づいたかバーカ」「とりあえず、幼稚園からやり直せ」「そんなことより違う話しようぜー」とかそんなことになることもあるだろうけど、それはそれなんだよ。もっとも、それで私は規制したい方向に動いて、今もそういう気持ちが首をもたげてて悶々してて、自己嫌悪に陥ってるんだけど、まぁこういう特殊例は置いておいて。(そっとしといて、病気なだけだから)
 とにかくそこでどんなにくだらなくってもかばってくれる友達とか仲間とかを見つけられたら、それで良いかなぁって言うのもあるし。人間は孤独なわけで、正しくなくっても間違っていなかったり、間違っていなくても正しくなかったり、数の論理に物言わせた人間達に押しつぶされて、不安定なわけだよ。そこを創作って言う手段を使って明確にして、それで何人かの同じ人たちが救われるならそれは大切なことなんじゃないかなぁと。素晴らしいとかこれは酷いとかそういうのひっくるめてね。
 そして私はそういう土壌を認めてくれる人たちに対して、ある程度の義理を果たすのも面倒くさいのですけれどもね。けどまぁ、今のところKIDとKuroとShiroとちゅんばと秋水君だけは大切にするつもりです。どういう意味かって、友達募集中ってことだよ、けど、友達になってくだしぁとかそういうのは無理で、割と空気のように仲良くなりたいの。空気のようにね。
 けど、まぁいい、とにかくそういう土壌を作るために、僕も何かを差し出さなければ。何かを。