まかせたぞスポンジボブ

 22歳にもなってスポンジボブ見てるってわけでもないです。夢の話。
 昨日見た夢なんですけどね、えらいファンシーな夢なんですよ。一言で言うなら、現代版西遊記
 スポンジボブと動く石像を仲間にして、近くの神社かスーパーか、どこかわかんないんだけれども目指してるわけなんですね、私は。
 するとまぁ西遊記的に出てきますわな悪者が。スポンジボブ出てきてるんだから、おとなしくトイ○トーリー2の○ーグとか出しときゃいいのに、妙な所でリアリストな私。夢の中に、ちょっとアレな感じの殺人鬼が登場しよるんですわ。
 もっさい服装で、おもちゃの包丁にしか見えないモノホンの包丁を握り締めて奴は襲ってくるんだ。「見られたから殺さなくちゃ」「まぁそうだけど」とか、隣に居る割と美人な女の子に話しかけながら。で、私らは逃げ惑うわけなんですけど、そんな中で私が発した一言が今回の記事のタイトルなわけです。

 今でもその時のボブの姿はありありと思い出せるね。「えーっ!?」って言いながらかくかく震えて、次の瞬間には足が渦巻いてビューんですよ、ビューん。そんでもって、律儀にボブを追いかけるんですわ、殺人鬼がまた。私のほうが距離的に近いのに、実に滑稽。
 まぁボブはスポンジなので、多少斬りつけられても平気だろうって夢の中の私はとっさに判断したんだろうけど。これ、ボブじゃなかったら人として最悪の判断ですよね。


 いや、ボブだとしても最悪だよ、これ。


 そこは、「俺に任せてお前達は逃げろ!!」とまではいかなくても、「皆、ここはばらばらになって逃げるんだ!!」程度のことは言えよ、せめて。なんかすげぇ情けねえのとともに、こんなにあくどい人間だったんだ、自分のことしか考えられん人間だったんだなぁと再自覚。こりゃ人に愛される資格なんて無いわ、とっととくたばっちまえよ、カス。ってなもんです。
 引きこもるようになって見えてきたことって事を、前の記事でも言及しましたが、こいつもそうですね。自分がこれまでの人生で、こんな幼い人間性しか育てられなかったのかと思うと、非常に腹立たしい。
 で、更に突き詰めて考えていくと、また幼い自分勝手で未成熟な考えで自己否定を繰り返すので、こんな所で終わり。これで一本小説かけるんじゃないかなぁとか、最近は思うけど、それもやりつくされてるんじゃないだろうかなぁとも思う。
 あぁもう、なんとかしてくれよ、この閉塞感。過去の文明が退化したのも分かるような気がする。人は神様じゃないから爆発的な進化にはきっと耐えられないようにできてるんじゃないのか? そもそも進化というものが遺伝子的に行われるものだとしたら、ライフサイクル的についていけるわけがなくて。記憶力だとか筋肉だとかは一時的な能力の補助に過ぎず、現代社会はそれを蚊帳の外において無茶なことを人類に要求しているのではないだろう(ry
 とどのつまりは、社会が悪いといいたいだけでして。ほれ見たことか、やっぱり自己中心的にしか物事を考えられん屑なわけですよ、私は。
 
 あー、今月号のナチュンが超楽しみ。